ま、適当に

思いつきで書くよ

おんな城主 直虎

バルトークの丸パクリでしょ、これ。こんなの、許しちゃっていいのか?

んじゃ。

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  1. 2017/01/24(火) 23:16:11|
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YouTubeクラシック鑑賞各論

●恥ずかしながら、おいらったらP・ヤルヴィって指揮者のことを比較的最近(数年前に)知ったばかりなんだけど、彼のベートーヴェンってものすごくいいよね。いやそれどころかね、この人はよくいるバロック、古典派しか振れない古楽器バンド指揮者ってわけでもなくて、この人の振るマーラーやショスタコまでもが結構いい。プーチン大統領みたいな顔してるけどさ、中身はプーチンとは全然違ってやることのセンスは抜群だ。オヤジのN・ヤルヴィはおいら的にはイマイチだったけどね。

●モノラルはやはりモノラルだ。一回聴けばそれでもうおなかいっぱい。同じ演奏を立て続けに聴く気にはなれない。即ち、どこの誰が何を振っていようが、ソコソコいい演奏だと思うことはあっても”名演”とまでは思わないってことだ。

●ミュンシュ/パリ管の幻想交響曲はとてつもない。

●ザンデルリンクのブラームス全集は出色だね。ベルリンSOって相当ドイツドイツしてる。つーか、ヌタ~~~っとしてる。最初聴いたときはいきなり辟易としたんだけど、聴けば聴くほどよくなっていく。おいらのブラームスランキングに変化をもたらすことは必至。今ではそれくらいいい。評価が固まるまでもう少し聴きこんでみる。

●アバドのブラームスはそうでもない。そもそもアバドったら没個性の優等生って感じで、おいら的にはなんだかちっとも面白くない。捉えどころがないので印象にも残らない。

●朝比奈のはブルックナーに加えてベートーヴェンやらブラームスも聴いた。が、とにかくオケがヘタっぴなので感動するには至らない。総じて押すところはソコソコだが引き際がダメ。引くところこそ最高レベルの緊張感が必要だってのに、少し気がぬけちゃってる。テンポ的にはゆっくりだが、今演奏しているその音を大切にしていないっつーか、気持ちが次に行き急いじゃってて心ここにあらずって感じ。サビばかり気にしてる二流の演歌歌手のよう。(←こんな書き方で分かるか?)
・・・とはいえ、感動の予感はあった。彼のブルックナーが世で評価されているのも肯ける。特に5番8番などはオケさえよければ恐らく死ぬほど感動していたかもしれない。・・・もうどうしようもないけど。

●朝比奈のシカゴ響のライブも「ふ~ん」で終了。ブルックナーとCSOが相いれないだけなのかもしれないけど、オケがただうまいってだけでもダメなんだね。とにかくブルックナーは泥臭くないと。これがドイツのオケだったらなあ、・・・・これまた、もうどうしようもないけど。

●朝比奈ではマーラー2番だけはべらぼうによかった。同曲で映像としてYouTubeにアップされている他の「復活」(小沢、ブーレーズ、ラトル、ゲルギエフ)もチェックしたが、おいら的には朝比奈のが飛びぬけていい。もちろんオケはダントツに下手だよ。テンションが保てなくて、途中、中だるみもしてるよ。画質も録音も出来損ないだし、合唱なんか大阪のおばちゃんが歌っとる・・・・・でもね・・・・最後は不覚にも涙した。何も言うことはない。すばらしかった。・・・ちなみにおいら、もう二度とこの映像を再生しない。つーか、聴きたくない。二度目はたぶん粗ばかりに気をとられちゃって、せっかくのあの感動が失せちゃうような気がするから。

●ヴァント/ベルリンPOのブルックナーは総じていいように思う。世間の評価とは逆になるのかもしれないけど、おいら的には他のオケの盤よりしっくりくる。

●テンシュテットのマーラーライブはいいです。とってもいいです。ものすごくいいです。

●ゲルギエフのショスタコは結構いいって感じ。優れているとは思うが決定版ってほどではない。が、チャイコフスキーの5番はよかった。突き抜け感あり。

●ムラヴィンスキーのショスタコは、以前では考えられないような録音のいいやつが出てる。そこにはとっても感激。音楽としてはゲルギエフ同様、優れモノだが突き抜けちゃいない。特に映像を見ちゃうとダメ。この人の指揮っぷり見てるとテンションが駄々落ちする。

●小沢征爾のドキュメンタリー的なやつを何本か見た。おいらったら彼の演奏によって心が打ち震えるような感動を得た経験が一度もないんだけど、ま、それはそれとして、偉大な人だという思いが出てきた。やはり単細胞なやつを洗脳するには相応の映像を見せるに限るようだ。

●カラヤンの3本立ても見た。でもカラヤンのファンにはなれなかった。すごいな、とは思うんだけどね。好きとすごいは違うっちゅーこっちゃ。

てな感じなんだが、こういう評価って何年かたつと真逆のものに変わってたりするから面白いよね。そんなこともあるんで、後年面白がるためにも書き残しておいた。次はあんたの番だよ。やってみ。

んじゃ。

  1. 2015/03/19(木) 22:53:56|
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名曲名盤300

原点回帰第二弾ってことで、今日はクラシック音楽についての話題です。

このブログでは最近全く触れてもきませんでしたが、おいらはクラシック音楽を結構コンスタントに聴き続けています。聴いている曲自体は基本的に以前とほとんど変わらないんですけど、昔この話題をここに書いてた頃よりはほんの少しだけ古典側にレパートリーを広げ、おいら的にはチャレンジングな音楽鑑賞を進めたりもしてます。(と言っても、せいぜいベートーヴェンまでですけど。)

とは言え、お金は全然かけておりません。音源として最近もっぱらYouTubeに頼っているもんですからね。実際検索とかしてみればすぐに分かりますが、とにかく様々な音源がYouTube上にアップされているもんですから、選り取り見取りで困るほどです。これだけあれば、特段CDなど買わなくても一生過ごせるように思われます。

そんな中、おいらったら「ある交響曲全集を一気に聴く」とか「ある指揮者の演奏を立て続けに聴く」みたいなことを繰り返しております。たとえば、P・ヤルヴィのベートーヴェンとか、ザンデルリンクのブラームスとか、朝比奈のブルックナーとか、ムラヴィンスキーのショスタコとか、指揮者で言うならP・ヤルヴィ、ゲルギエフなんぞをまとめてガガガガーッと聴いちょります。

その一方で、名演と言われてて聴きたかったんだけど聴く機会のなかったもの、たとえばフルトヴェングラーのベートーヴェン4、7番とか、トスカニーニのベートーヴェン奇数番交響曲とか、ミュンシュ/パリ管の幻想交響曲とか、ヴァント/ベルリンPOのブルックナーとか、テンシュテットのマーラー5、6番のライブとか、とにかく以前ならバカにしてろくすっぽ聴いたことすらなかったモノラル版にまで手を出しながら、何でも聴くようにしてます。

YouTubeでわざわざ検索までしてその曲、その演奏を聴こうとする動機には、もちろんそのもととなる情報が存在します。今現在どんな演奏が流行っているのか。どの演奏が名演と言われているのか・・・・おいらのクラシックの情報源ってのは、ネット上にあふれている様々な人の意見に「名曲名盤300」っていう一冊の本を組み合わせたもので、そこに愚鈍な推理を働かせた複合的な判断が試聴行動の礎となっています。

この「名曲名盤300」という本ですが、こいつはレコード芸術で繰り返し行われてきた企画の最新のもの。と言っても2011年発行の本なので情報としてはソコソコ古いんですけど、クラシック音楽ってのは毎年名演がボコボコ出てくるような世界ではありませんし、名演と言われる演奏のほとんどは20世紀に生まれたものばかりですので、そういう意味では大して古くもなく、大きな問題を感じることのないまま何年もに渡って愛読し続けております。今、新しいサイクルで「名曲名盤500」に相当するものを作ってる最中みたいなんですが、これも出た時点買っちゃうと思います。

・・・あんたもこれ、読んでみたらいいよ。結構アホらしい企画なんだけど、「次に聴く曲」の選択に当たって実質的に役に立ったりするからさ。(←一部のブログ読者に向けた突然の叫び。)

え~っと、頭の中がまとまってないので、続きはまた次回に。

んじゃ。

  1. 2015/03/18(水) 22:41:53|
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第2回ジョイントコンサート

戸越台中学校吹奏楽部が、東京ウィンドブラスオーケストラとジョイントコンサートをするそうです。無料だそうなので、東京地区にお住まいのこのブログ読者の皆様(数名しかおらんが)、もし暇だったら行ってやってください。(おいらはちょいと微妙な感じ。)
 ●2014/3/30(日) 開場13:30/開演14:00
 ●品川区大井町きゅりあん大ホール

詳細はこちら
(ドアホウN、連絡 Thank you.)

  1. 2014/03/16(日) 20:23:00|
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朝のクラシック

先日ちょいと書きましたが、クラシックをウォークマンに仕込んで毎朝聞いています。

朝の通勤~ウォーキングの時間は総計90~100分くらいありますので、結構長めの曲でもまとめて聞き切れてしまいます。とはいえ、クラシックを通して聴くのは久しぶりだったので、いきなり知らない曲で疲れたりしないよう、マーラー交響曲第1番/5番、ショスタコーヴィチ交響曲第9番/10番、ストラヴィンスキー春の祭典/ヴァイオリン協奏曲、といった超慣れ親しんだ音楽から入るようにしました。で、それから二週間程度が経過。今では少しひねくれた音楽に移行しています。

今日聴いたのはレスピーギのローマ三部作。「この曲のどこがひねくれとるんじゃ?」って言われそうですが、演奏がね、おいら的本命のムーティ/フィラデルフィア管弦楽団じゃなくてデュトワ/モントリオール交響楽団ってところがいつもと違うところッス。そういう意味では、チャイコフスキー交響曲第4番をムラヴィンスキーじゃなくてショルティで聴くとか、ヴィヴァルディの四季をイ・ムジチじゃなくてアンネ・ゾフィー・ムターで聴くとか、曲自体は聴き飽きたようなものを選択しながらもそっち方面のことをやり始めております。

来月になったらもっとひねくれていって、ワーグナーの「ニーベルングの指環」四部作やバッハのマタイ受難曲/ヨハネ受難曲といった1日では聴き切ることのできないような大作もの、あるいはブルックナーやらベートーヴェンやらブラームスやらのBで始まる作曲家の交響曲全集を一気に聴いていくとか、何でもいいからテーマを決めて聴いてみようと思ってます。その理由はっつーと・・・・昔から一度やってみたかったんスよ、こういう聴き方。学生時代の友人が言ってたんですが、そういう聴き方だからこその「何か感じるところがある」んじゃないかと期待しています。ただ、こういうことするときに暑いと鬱陶しいので、やるのは来月からね。

んじゃ。

  1. 2012/09/24(月) 21:49:40|
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ダスビのショスタコ10番

ちょうど1年くらい前に予告致しておりましたが、昨日の日曜日、池袋の東京芸術劇場にてダスビダーニャの第16回定期演奏会があったので、友人誘って行ってきました。演目はオラトリオ「森の歌」と交響曲第10番だったんですけど、特に10番はおいらのクラシックお気に入り曲トップ3に入るような曲なので、それはもう楽しみにしていたんです。

で、行ってみたら満席でした。「森の歌に出演したこども合唱団の親とかが来ているからかな?」友人とはそんな話をしておりましたが、そんな中で始まったオラトリオ「森の歌」。いい感じでした。やっぱこのオケ、鳴ります。思ったとおりにグオーッと来て、思ったとおりにババーンってなります。とにかくそこが気持ちいい。合唱もよかった。とにかくこの曲は満足できたのでした。

休憩を挟んでのショスタコ10番。私の自分勝手なワクワク感の中で演奏は始まりました。が、私がこのオケを聴き始めて初めてのことなんですけど、ラッパが数箇所でへこたれてました。ソロで明らかに落とした部分もありましたがそれはさておいて、特に、第2楽章の最終音を外したのは「んお~、ちっきしょ~、ビミョ~に気持ちよくね~ぞ~、俺だけか~?」って感じでした。(ま、この部分はアンコールで取り戻しましたけど。)また、死ぬほど聴き慣れた曲だったからでしょうか。細かい部分で「ん?」と思うことが何度もありました。言葉を選ばずに端的に言うなら「繊細さに欠ける」「丁寧さに欠ける」「ガサツ」とでも申しましょうか・・・・・特に、パーカス(&一部金管)はわざとらしく小さな音にするの、止めた方がいいかも。

って、こんなこと書いていると、やたら不満だらけだったかのように思われるかもしれませんが、総合的には概ね満足しています。やはり、”鳴らしまくるショスタコ”ってのは細かい不満点を吹き飛ばすだけのものがありますね。あと、この曲はVnが低音で行進曲風にグゴグゴ迫ってくる部分が頻発しますが、おいらはそういうとこが無条件に好きなんですよ。高音の軽やかさが売りであるはずの(?)Vnですが、それがあえてその低音で小気味よくザクザク進んでくると、なんだかとってもケナゲな感じがして無性に愛しくなります。そしてそれ以上に、Vn奏者が低音側の弦を一心不乱に弾く姿って文句なく好き。(←この感じ、できれば共感してもらいたいんだけど、分かんねえかな?)特にダスビVnでは、頭に紫の蝶を付けてた4列目のお姉さんがずば抜けて好きです。一方、2列目に座っていたここぞというところで中腰になるVnおじさんはちょっとやりすぎ・・・・ってな感じで、演奏とはあまり関係ないのかもしれませんけど、”好感度アップ”という狙いを込めて観客席側には女性を並べてもらえないものでしょうかね。できることならオヤジ、見たくねえし・・・・

とまあ、勝手なこと書いてますけど、様々なところでこのオケを満喫させていただきました。ま、上の上に書いた不満点は私の勝手かつ一方的な感想ですから、多くの方はそんなことを気づきもせずに満足されたのではないでしょうか。ただ唯一、この演奏会へのクレームとして多くの方にもご共感いただけると確信出来ることがあるのですが、前にも書きました通り、東京芸術劇場の椅子だけはいただけません。あれほど座り心地の悪い椅子も珍しいッス。絶対にケツが痛くなる。これ、何とかならないものでしょうか。

というわけで、ダスビの皆様、次回も宜しくお願いします。
・・・・ところで、次回は何やるの?
(今日の「森の歌」でのパイプオルガン並びのラッパ、トロンボーンを聴いてて唐突に頭をよぎったんだけど、レスピーギの「ローマの祭」「ローマの松」をやってもらえませんかね?メインはショスタコとしても、前半はこの2曲とかで。それとも、演目ぜ~んぶショスタコものじゃなきゃだめなのかな?イタリアものなんて正反対過ぎて無理?主顕祭とアッピア街道の松だけでもいいんだけど。アンコールでもいいや。鳴りまくるレスピーギ、聴いてみてえ!)

  1. 2009/02/16(月) 20:54:55|
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チャイコフスキー

チャイコフスキーの作曲する楽曲はとにかくとっつきやすいメロディが多く、今でも様々なところで流されています。交響曲とか聴いていれば分かるんですけど、各楽器とも音階を上下する要素が数多く登場し、それをもって彼の音楽は(うろ覚えではありますが)音階の音楽と言われています。(てか、いわれていたような気がする。)前にも触れましたが、彼のヴァイオリン協奏曲は私のお気に入りの曲の一つで、「メロディが単純=つまらない=嫌い」という私本来の嗜好に逆らった数少ない曲でもあります。

シンフォニーでは彼は連番のついた交響曲を6曲残しておりますが、私が聴くのは主に後期三大交響曲と呼ばれる4番、5番、6番です。この中で特に聴くのは4番で、その昔ラッパ吹いてた頃には自分で演奏したこともあります。次いで聴くのは6番「悲愴」、最下位は5番ということになりますが、個人的嗜好のレベルから鑑みると、大げさに順位を付けるほどの差はありません。

この3曲のお勧めディスクは、なんといってもムラヴィンスキー指揮レニングラードフィル(現サンクトペテルブルク交響楽団)の演奏です。わたしゃ、これら3曲のディスクはそれぞれ10種類近く持っていたりもしますが、どれを聴こうかと悩んだりした場合は必ずムラヴィンスキーに収束されていきます。このコンビが生み出している無駄を排した極めてロシアンチックな演奏は、名演というよりも豪演と言ってしかるべきとてつもない出来に仕上がっています。

一般的に言って、チャイコフスキーは(ピアノコンチェルトを除くと)バレエ音楽で有名だと思います。「白鳥の湖」「眠れる森の美女」「くるみ割り人形」は彼の三大バレエ音楽と呼ばれ、特に「白鳥の湖」なんぞは世の中のあちこちで耳にしたりします。私はというと彼のバレエ音楽はさほど好きというわけでもなく、特に最も有名な「白鳥の湖」に至っては大嫌いな曲の一つで、ちょいと耳にしただけで虫唾が走ったりします。どこがどう嫌いなのか問われると困るのですが、とにかく超有名なあの最初のメロディからして生理的にまるでダメで、この曲が流れたりしただけでオーディオを全てぶっ壊したくなります。

同じ作曲家が作る曲に対してこれだけ嗜好が左右される人って、私にとっては彼の他にはおりません。ま、彼の曲はとにかく耳あたりだけはいいですから、もしキチンと聴いたことがなければ一度聴いてみてください。ただし、一曲聴いただけでこの作曲家を判断しないように、聴くんなら複数の曲をよろしく。

  1. 2008/10/14(火) 22:32:16|
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春の祭典

ストラヴィンスキーのバレエ音楽”春の祭典”。この曲はクラシック音楽の中でも最も好きな曲の一つで、この”ハルサイ”に加えて、”ペトルーシュカ”、”火の鳥”の3曲はストラヴィンスキーバレエ三部作と呼ばれております。私は高校時代にハルサイにはまり、スコアを買い込んで穴が開くほど眺めながら、様々な演奏を聴き比べたりしておりました。

曲はファゴットの通常の演奏音域を越えた超高音で始まります。「ん?」ってな不思議な気持ちで聴き続けてると、とにかくこの曲、不協和音バリバリな上に1小節毎にリズムが替わったりする。はじめは正直「なんじゃこりゃ!?」と思いました。が、そこには私をひきつける何かがあった。気になって気になってしょうがなくなった。その欲求に抗しきれないまま繰り返し聴いているうちに、いつのまにやら中毒と化していったのです。

その後、プロオケのプログラムにこの曲を見つける度にチケットを購入しては聴きに行っていた時期がありました。N響、東響、東フィル、新日フィル・・・・当時は学生チケってのが安く出されていたもんですからね(今でもそうなのかもしれませんが、最近はプロオケ演奏会にご無沙汰なんでよく分からないっス)。聴いてみるとやっぱ生演奏はいい。他の曲だとよくやっていた「そのオケがうまいだの下手だのというアラ捜し」よりも、ハルサイの場合は純粋に生の音、生の迫力を楽しんだものでした。

ハルサイは今でもたまに我がMPVの車内で流れます。片道1時間半近くかかる長旅の間に2種類の演奏が聴けますから、往復で4種類。1日中ハルサイにおぼれた日もありますし、たまにはそこに”ペトルーシュカ”や”バイオリン協奏曲”などもはさんだりして、ストラヴィンスキー三昧の日々を送ったりもしてきました。(ただ”火の鳥”だけはつまらないのでほとんど聴かないんですけどね。)また、ハルサイに限らず、車内にクラシックを流すときはとんでもねえ大音量に設定しますんで、オーケストラのフルパワーが大爆発するようなところでは、1.7トンもあるあの重量級MPVの車体が文字通りビリビリと震えるほどです。この醍醐味を味わうためにMPVにはBOSEのスピーカーシステムを積んでるわけですし、「音はフォレスターよりMPVの方がずっといいよな」、「クラシックを楽しむなら車重のある車に限る」なんて妙な感想を持ったりもしながら自己満足してるわけです。

ま、この”春の祭典”、もし聴いたことがなけりゃ一度聴いてみてください。”ペトルーシュカ”とカップリングされているブーレーズ指揮クリーヴランド管弦楽団の新盤(といっても、相当古いけど)あたりがお勧めです。

  1. 2008/10/08(水) 21:22:51|
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錦糸町遠かった

本日、すみだトリフォニーホールにて行われましたル スコアール管弦楽団の定期演奏会に行ってきました。

演目はドヴォ7と中国の不思議な役人。

このオケ、うまいっすね。バランスが抜群。先日行ったダスビは迫力が売りみたいだけど、スコアールはバランス。もしかすると総合力はこっちが上かも。

ただこのオケ、ある楽器だけはいただけません。音程が不安定だし、ミスばっかしてるし・・・。これでもうこのオケの演奏会で連続3回、この楽器群に不満を感じ続けてます。いくらなんでも他の楽器との力量差がありすぎでっせ・・・

その楽器とは、実際に聴きに行った人ならすぐに特定出来るでしょうけど、そう、くるくる真ん丸い楽器っすよ。事情も知らないくせになんだか申し訳ないんですけど、ぶっちゃけトップの方を入れ替えた方がいいと思いますよ。(アマオケだと先輩後輩で遠慮とかがあんのかな?)・・・てか、その方が健全でしょ、明らかに。

あとはもう全然いい演奏でした。お疲れ様です。またよろしくおねがいします。(・・・でも、もうドヴォルザークは止めてね。)

  1. 2008/06/29(日) 22:41:19|
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次の演奏会

ル スコアール管弦楽団の第24回定演が今月末の日曜日に開催されます。ホームページに書いてある通りにメール出すとご招待受けられるみたいだから、興味のある人は行ってみてちょ。

<業務連絡>
いつもの案内メール出したんだけど、返事こね~ぞ。またジャンクフォルダーに入っちゃってんじゃね?チェックよろ。

  1. 2008/06/16(月) 23:30:15|
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ショスタコーヴィチ

以前にも書きましたが、ショスタコーヴィチはマーラーと並んで私が最も好んで聴く作曲家です。聴くのはもちろん交響曲ばかりですが、ショスタコの交響曲なら何でもかんでも聴きまくる、というわけでもありません。その昔、どの交響曲がどうしたなんて話をこのブログ読者の一部とはしたものですが、今ここでちょっとそんな話をぶり返してみます。(初めて読む人には通じないと思いますが、分からなかったら諦めてちょ。)

ショスタコ交響曲に対する私の脳内序列の中で、現在見事トップに君臨しているのは第8番と第10番です。世間的には前者は無名、後者は有名な曲ってことになるのですが、おいら的にはそんなこと関係ありません。どちらも申し分のない名曲だと思ってます。クラシック好きでもどんな曲なのか知らない方の多い第8番ですが、その寒々しい透明感とでも申しましょうか、やりきれない中での前進感とでも申しましょうか(ボキャ貧なのでうまく説明できません。ごめんなさい)、とにかくそんな感じがたまらない曲です。ショルティのがダントツにいいッス。一方の10番はカラヤン。これは昔から変わっておりませんが、そこにショルティのライブが加わって無敵感が増しました。

これに続くのが、重~い13番と、1、9、15番という軽めの3曲。それぞれその時点での精神状態により聴きたくなったりすることの多い曲です。昔は”最高傑作”とか言ってた13番の評価が落ちてるってことになるんだけど、これってちょうど8番と入れ替わった感じなんすよ。順位は下がったにせよ曲単独の評価内容は昔と同じなんで、(今じゃハイティンクのしか聴いてないけど)別に嫌いになったってわけじゃありません。軽めの3曲のロジェベンは相変わらずいい。無理やりロシア風味にしてるかのようなここまで個性あふれる演奏って今どきないです。

11番と14番がそのチョイ下ってポジションです。聴く頻度はさほど多くないものの”気になる存在”って感じ。この前のダスビがとってもよかったんで、以前は低かった11番の評価がちょっとアップして14番に並びました。

超有名な5番はますます聴かなくなってます。ラッパ吹いてた頃はその目線で面白がってた部分が大きかったけど、当時から交響曲としては今ひとつでなんだかな~って感じだったでしょ?深みに欠けるって言うかなんと言うか・・・。年を経るに従ってその感覚が増幅されてきちゃってます。

2、3、4、6、12番の5曲は昔と変わらずです。嫌いって訳じゃないんですけどね。でも、前から名演じゃないと聴けないような曲だと思ってますし、未だ名演にもめぐり合えてません。

7番に至っては相変わらずダメ。あれからもまたいろいろ聴いてみたんですけどね。どうしても途中で寝ちゃいます。・・・やっぱ駄作なんじゃないかな、これ。

というわけで、今日の記述はほんの数名の読者以外の方には意味不明だったと思いますけど、これってもともとメール代わりに開設したブログなんだし、こういうパターン、今後も出てくるかもしれません。お許しください。

  1. 2008/05/29(木) 21:29:20|
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マーラーのベスト盤

車載DVD-Rでいよいよマーラーが始まりました。私一押しのクラシックの大本命です。マーラーとなると書くことが一杯出てきますので、今回は自分のお気に入りディスクに話題を絞って、これを紹介していきます。

私がマーラーを初めて聴いたのはもうかれこれ30年くらい前のことになりますが、そのときに耳にしたのは交響曲第1番「巨人」でした。小沢征爾指揮、ボストン交響楽団による演奏(アナログ録音末期のもの)で、小沢がこれまで出してきたディスクは星の数ほどありますが、自分的には未だにこれが彼のベスト盤だと思っています。以降、私の前を通り過ぎた第1番は優に20種類を超えますが、どれが最もいい演奏かを特定することができません。てか、”最もいいもの”を特定する必要なんかどこにもありません。ワルター、ショルティ、バーンスタイン、シャイー、ブーレーズ、レヴァイン、アバド、・・・・我が家にあるどれもこれもが名演なんですから。てか、この第1番、オーケストラがよければ誰が振っても名演に聞こえる曲のような気がします。

交響曲第2番「復活」。5楽章構成で声楽入りです。こちらは1番とはうって変わって、自分の中で決定版があります。1980年代に録音されたバーンスタイン指揮ニューヨークフィルハーモニックの演奏です。この演奏に出会う以前のことですが、クレンペラー、小沢、アバド、ショルティ、ワルター等々、何枚かを聴いていて「第2番は愚作である」と判断しかかったことがあります。それがこのバーンスタイン盤を聴いて評価が一変。一気にお気に入りの曲となりました。ただ、普通何らかのきっかけである曲を聴けるようになったら、前に聴いてきたものの評価もそれにつれて上がったりするものですが、この曲の場合はそうなりませんでした。お気に入りはいつまでたってもバーンスタイン盤のみで、他の演奏だといつも物足りなくて不満が残ります。かといって、この曲への思い入れが浅いわけではありません。たった一種類のディスクしか聴くことができないという状況にありながら、この曲は私の中でも特に好きな曲の一つであるという、前例のない不思議な状態にあります。

第3番は6楽章構成の長大な曲。手持ちディスクの中ではショルティのがお気に入りです。バーンスタインのもそこそこいいんですけど、やはり曲がこれだけ長いと彼みたいに粘る演奏ではちょっと辟易としてきます。その点ショルティのはすっきりと仕上がっておりますし、シカゴ響の澄んだ音がこの曲にピッタリ嵌っていると思います。ショルティ盤でただ一点気になるのは、5楽章に出てくる合唱が弱いところ。特に子供の合唱は特筆すべきほどの下手くそさで、そこだけがちょっと残念です。

声楽(ソプラノ)が終楽章(第4楽章)に入る第4番にお気に入りのディスクはありません。てか、この曲自体、軟弱すぎて好きではありません。ワルター、アバド、バーンスタイン、ショルティ、ブーレーズ、クレンペラー・・・・一連の一流指揮者のディスクは一通り所有してはおりますが、未だお気に入りのディスクってありませんです。例えばボーイソプラノを起用したバーンスタイン盤など、奇を衒った大失敗例だと思いますし、余計な感情を排したブーレーズ盤に期待した時期もありましたが、どうしても好きにはなれませんでした。ただ、第2番「復活」の例もあります。誰か他の演奏を聴いてこの曲を好きになる可能性だって十分あると思っておりますから、新しいディスクを聴く機会があれば積極的に聴いてみるようにしています。

第5番は5楽章構成の曲で、マーラーの中でも一二を争うほど好きな曲の一つです。2種類のショルティ盤を筆頭に、バーンスタイン、レヴァイン、カラヤン、テンシュテット、マゼール、シノーポリ、ブーレーズから尾高忠明まで、有名無名併せて10種類以上のディスクを保有しております。その中でもっともお気に入りなのは・・・・・これも第1番と同様にとてもじゃないけど一枚には絞り込めません。ショルティの新盤(ライブ)とバーンスタイン。そこにブーレーズ、テンシュテット、カラヤンあたりを加えた5枚くらいがよく聴くディスクってことになります。

第6番も5楽章構成。ディスクとしてはバーンスタイン、ショルティ、テンシュテット、ブーレーズ、クレンペラー、ラトル、カラヤン・・・といったところを保有しておりますが、お気に入りとなると・・・う~ん・・・・・テンシュテットのライブですかね。死を前にしたテンシュテットの迫力には圧倒されるものがありますから。ただ、この曲の鑑賞には相当体力を使いますから、年をとるに従って聴く機会(聴こうとする機会)が少なくなってきてます。が、こんなことを書いていて少し触発されちゃいました。順番に聴いてきた車載DVD-Rももうすぐ6番が始まりますので、こいつを楽しみにしときます。

第7番も第6番と同じようなメンバーのディスクを持っておりますが、こちらでのお気に入りはラトル盤です。なんだかこの第7番って曲はある意味難解で、何を表現したかったんだかよく分からないところがあるのですが、そういうのを全部ひっくるめてスカッと爽やかに演奏しきっちゃってるラトル盤の思い切りの良さが気に入ってます。

第8番は「千人の交響曲」と呼ばれる浮世離れした曲で、各種合唱団を含めて千人近くの演奏者が必要となるため、こんなサブタイトルがついています。人件費がかかりすぎるためか、生ではあまり演奏される機会がありません。持っているディスクも限られておりまして、アバド、バーンスタイン、インバルくらいしかありませんし、曲自体があまり好みでないために、好きなディスクも特にありません。

マーラーの交響曲の中で唯一連番の付いていない「大地の歌」は、一部の人からはマーラーの最高傑作と評されています。私もご多分に漏れず、ショルティ、テンシュテット、クレンペラー、バーンスタイン、ワルター、ジュリーニ等々、一連の有名どころのディスクは保有してはいるんですが、残念ながらお気に入りのディスクは一枚もありません。いや、それどころか、なぜこの曲が最高傑作と言われるのかさっぱり分からないでいます。私にとってこの曲は別に好きでも嫌いでもない、感情が好き嫌いのどちらにも振れないただの曲って感じで、いつの日かこの曲に目覚めてみたいとは思いますが、そんな予感が全然しない今日この頃なんです。

私自身は第9番をマーラーの最高傑作だと思っています。手持ちのディスクはブーレーズ、アバド、マゼール、バーンスタイン2種、カラヤン、バルビローリ、ショルティ、ジュリーニ、若杉・・・どれもこれも力演というにふさわしい演奏ばかりですが、この中で私が最もいいと評価しているのはカラヤン盤で、ベルリンフィルとのライブ録音です。ライブならではのピンと張り詰めた緊張感を演奏の最初から最後まで一貫して感じ取ることができるディスクって他に経験がなく、まさに奇跡のようなディスクに仕上がっています。オケの技術も半端ではなく、ライブでこれだけの高いクオリティを保った演奏ってちょっと他に聴いたことがありません。二番目はバーンスタインのベルリンフィル盤。これまた名演の誉れ高き演奏です。アナログ録音なのがちょいと残念。

あと、マーラーの交響曲には未完成作品の第10番があります。1楽章だけはマーラーの手によるものですが、2楽章以下は草稿だけが残され、デリック・クックというオッサンが編曲を行っているため、第10番の演奏には第1楽章のみのものと、クック版と銘打たれた全曲演奏のものの2種類が存在します。私はどちらの演奏も何種類か持っておりますが、いずれも好きではないのでほとんど聴かなくなっちゃいました。

マーラーの交響曲の全てを鳥瞰し、その中で自分なりのベストスリーを決めるとするならば、第2番、第5番、第9番の3つってことになります。今まで散々聴いてきた曲ではありますが、今後もまた何十回、何百回と聴くことになるでしょう。今まで聴いたことのない方は、ぜひ一度聴いてみられることをお勧めいたします。音楽の嗜好というものはそれこそ多種多様ですから、皆様が私と同じ感覚を持ちうるかどうかは大いに疑問ではありますが、ひょっとするとクラシックに対する抵抗がなくなるかもしれませんしね。趣味の幅を広げる試みということで、やってみる価値はあろうかと存じます。


とまあ、こんな感じなのですが、今回はぶっちゃけ、交響曲を順番に一つ一つ何らかのコメントをしなければならないという妙な義務感ばかりが頭の中を支配してきて、文章を書き進めていて面白くも何ともありませんでした。書く側ですらそうなんですから、そんなものを読まされる側はもっとつまらなかったろうと思います。せっかく時間をかけて書いてきたものだし、消すのも忍びがたいので今回はそのまま掲載しますが、こういう杓子定規なスタイルは苦痛でしかありませんので、今後止めようと思います。・・・なんだったんだろ、今日の執筆作業って・・・・。

  1. 2008/05/15(木) 21:38:22|
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ドヴォルザーク

ドヴォルザークといえば、日本全国の学校の下校の音楽でおなじみの From the new world. 新世界より=交響曲第9番(下校の音楽は第二楽章)で有名です。この前ご紹介した”車載クラシック流しっぱなしDVD-R”が先日ドヴォルザークの曲を奏でましたので、これを機に彼について触れてみます。

このDVD-Rに入れているドヴォルザークの曲は、交響曲第8番、第9番「新世界より」、そしてチェロ協奏曲の3曲です。何故この3曲なのかっていうと話は簡単で、私は彼の曲はこの3曲しか聴けないからです。もともと私は彼の曲ってまるっきり好きではなく、この3曲以外は聴くことすら我慢ならないほど。この3曲だって全然聴かなくても全く問題ないんですけど、いつ何時、クラシックへの嗜好が変わって守備範囲が広がるかもしれない。人生の楽しみが増えるかもしれない。常々そう考えている私は、あまり好きではない曲もたまには聴く。聴いてみる。そのためにこの3曲を車載DVD-Rに入れてみただけで、他意はありません。

彼の曲は総じて曲想自体が単純で田舎臭く、オーケストレーションの技術だってこちらが恥ずかしくなるほど幼い。例えば、交響曲第8番を聴いてみてください。交響曲を8曲も作っていれば、どんなボンクラでもそれなりの技術の向上ってものがあってしかるべきだと思うんですが、こいつに限ってはそういうのがほとんどない。才能の進化みたいなものをカケラも感じない。相変わらずとてつもなく幼稚な感じがするんです。そんな中、この第8番は聴いていて恥ずかしくなっていく自分を抑えながらもなんとかギリギリ聴くことが可能なんですけど、第1番~第7番に至っては、あまりに出来損ないでもう聴いてもいられません。

それが、第9番で少しだけましになります。といってもその田舎臭さは相変わらずで、メロディの耳あたりが少しだけいいせいか、世の中ではそれなりに演奏されているみたいなんですけど、私はこの曲に表現上の広がりを感じないために、一度聴いたら辟易としちゃって連続しての鑑賞に耐えません。ま、1年に1回聴いてみればそれでいいやって感じです。

ドヴォルザークで最も聴けるのがチェロ協奏曲です。もっとも、聴けるといっても好きってわけじゃありませんよ。この曲だって聴き終えたとき若干の辟易感が残ります。ただ、それが交響曲ほどには感じない。その程度っス。この曲、昔はロストロポーヴィチというロシアのおじいちゃんチェリストのディスク(カラヤン指揮のと小沢指揮の二種類)を聴いていました。曲の田舎臭さはそのまんまに、威風堂々と王道をいく演奏。この曲の導入としては最適だと思います。それが今ではデュプレという早世した天才女性チェリストのを聴くことが多いっス。こちらはロストロポーヴィチのとはちょっと違って、田舎臭さから脱却しようともがいてるみたいな、ちょっとだけ前衛的な匂いのする演奏です。

ともかく、数日前にこの3曲を聴いちゃいましたからね。ドヴォルザークはもういいです。おなかいっぱいでゲロ吐きそう。苦痛に耐え忍びながら3曲連続で聴いた自分を褒めてあげたいくらい。これからまたしばらくは、ドヴォルザークなしの人生を送りたいと思います。

というわけで皆様、ごきげんよう、さようなら。

  1. 2008/05/03(土) 21:50:39|
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ブリテン シンフォニア・ダ・レクイエム

表記の曲は私のお気に入りの一つなんですが、皆様はこの曲、ご存知ですか?

私がこの曲を初めて聴いたのは、今をさかのぼること20数年前のこと。世界に冠たるオーケストラ、ベルリンフィルの音楽監督を現在務めているサイモン・ラトルという指揮者が、当時の自分のオケ、バーミンガム市交響楽団を率いて初来日した際の演奏会でした。私はこのとき、年だけは食っていたけどまだ貧乏をこじらせていた学生で、この演奏会のチケットをこのブログの読者の一人である友人がおごってくれたために聴きに行くことが叶ったんです。(あんときゃ、ありがとね。)

当時、ラトルは演奏会で無名な曲を掘り起こして演奏することでも有名で、この演奏会のメインはマーラーの交響曲第一番でしたから、こちらは当然そこに期待して聴きに行ったわけなんですが、その日のプログラムの最初がベルリオーズの「○×○×」って曲(名前を忘れちゃいました)。この曲がまためっぽういい曲で早速CDを探し回ったのですが、そんときゃ誰も録音しておりませんでした。これに続けて演奏された曲がこのシンフォニア・ダ・レクイエムです。今では私自身がアマのオケでも聴いた覚えがあるくらい、それなりの頻度で演奏されるみたいなんですけど、当時は全くの無名といっても間違いのない曲で、これがいったいどんな曲なのか結構ワクワクしながら曲の開始を待ちました。が、演奏が始まるや否や、最初からもうドッカーンと私の心に突き刺さっちゃって・・・・・

Wikipediaなんかを読むと分かりますけど、これは「日本政府の依嘱により、皇紀2600年奉祝曲として作曲されたが、宗教的な理由や、皇室に対する非難を含むものと見なされたために、日本政府より却下された」といういわくつきの曲で、その過程でブリテンくんも相当虚勢を張った経緯があるみたいなんですけど、ま、そんなことを抜きにしてもブリテンにしちゃあとってもいい曲だと思います。ぶっちゃけ、もっと流行ってもいいと思うんですけどね。

私が持っているこの曲のディスクは、やはりラトルのものです。演奏会後、あまり時を経ずして購入しました。それ以来、こいつを聴いていると当時のラトルの指揮をする姿が思い起こされます。あのときのラトルは、なんちゅうか、とにかく颯爽と振ってました。うわ~、カッコイ~、って感じ。

今回なんでいきなりこの曲のことを書きはじめたかっていうと、今日たまたま聴いたからってだけのことで他意はありません。わたしゃ、行き返り計3時間近くの車通勤をしておりますが、ここ半月ばかりはクラシックのお気に入りディスクをMP3に変換してDVD-Rに焼き(音楽CDにして50~60枚分くらい入ってます)、車内でこいつを流しっぱなしにしています。一連のブラームスの曲が終わって次はブルックナーが始まるかと思いきや、間にブリテンが挟まってたんですよ。

いや、特にこれ以上のことをグチャグチャ言う気もないのですが、久々に聴いてこの曲の良さを再認識しました。演奏時間も20分程度で聴きやすいですし、もし興味をそそられましたら是非聴いてみてください。もしお持ちでなければ貸し出しますからメールください。

  1. 2008/04/24(木) 21:25:34|
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世界5大バイオリン協奏曲

クラシックのことを書き始めた際に申し上げましたとおり、私はクラシックといえばシンフォニーばかりを聴いています。コンチェルトを聴くことなど極めてまれで、コンチェルトと言って誰もが頭に思い浮かべる”ピアノ協奏曲”などは、誰の何番であろうが全然聞けないという特異体質を持っています。そんな私が、何故かバイオリン協奏曲だけは聴ける。何故なんだか分からないんですけどなぜか聴ける。こればかりは自分でも説明がつきません。

世の中には様々な作曲家による無数のバイオリン協奏曲が存在しておりますが、この中でもトップ5に数えられる心を打つ名曲があります。これらは総称して”世界5大バイオリン協奏曲”と呼ばれておりますが・・・・・って、本当はこれ、私が勝手にそう呼んでるだけなんですが、ともかく、コンチェルトなどほとんど聴かないこの私が好んで聴くことのできる5曲。その貴重なる5曲をここでご紹介しましょう。

まず、積極的に聴くという意味で筆頭に挙げられるのがチャイコフスキーのバイオリン協奏曲です。クラシックなどにはまるで興味のないうちのおかんがこの曲だけは聴けるというところからみても明らかなんですが、この曲は非常にとっつきやすい、ある意味単純な旋律で成り立っている曲です。この曲が真っ先に来るとは、よくご存知の方から見るとあまりに呆気なくて拍子抜けされるかと思いますが、とにかく私、この曲は名曲だと思っておりまして、もうかれこれ30年くらいの間、コンスタントに楽しませてもらってます。但し、私の気に入る演奏者は限られておりまして、最もよく聴くのはチョン・キョン・ファという韓国の女性バイオリニストのもの。二番目に来るのはオイストラフというロシアの巨魁による擬似ステレオ版。この2種類だけです。巷で決定版とされているハイフェッツのも持ってはいるんですけど、どうしてこれが決定版なのかまるで分からないままです。最初はオイストラフでこの曲に入りましたが、これがまたとんでもない名演なもんだから、一聴しただけで一気にはまりました。その後、ハイフェッツ等他奏者の演奏を聴いても一切浮気心は起きませんでしたが、チョン・キョン・ファのが登場して脳内の序列が変わった次第です。

残りの4曲は私の中で同レベルにあるのですが、何度も何度も聴いてようやく好きになったと言う意味で、ブラームスのは他の曲とは一線を画しています。「ドイツの田舎育ち」みたいな曲ばかり作るブラームスですが、この曲もご多分に漏れず田舎っぽく、なかなか好きになれませんでした。それが、いつのことなのかは明確ではないんですけど、何度も聴いているうちにいつの間にか好きになっていたという、訳の分からない履歴を持っています。

ストラヴィンスキーのバイオリン協奏曲も無視できません。管弦楽曲っぽくて文句なく面白い。ブラームスと組み合わせているムローヴァのCDなど、超お勧めです。もう文章でいちいち説明するのも面倒なので、言ってくれれば貸し出しますから、とにかく聴いてみて下さい。

ブルッフのバイオリン協奏曲第1番も外せません。そもそも私、ブルッフという作曲家はこの曲しか聴いたことないんですけど、ま、そんなことはともかくとして、この曲は名曲です。これまたたまたまなんですが、チョン・キョン・ファのを聴いてお気に入りになりました。他の奏者の演奏を聴いたことがないので偉そうなことは言えませんが、こいつは相当な名演だと思います。

最後はこの人、ヴィヴァルディ。そう、言わずと知れたバイオリン協奏曲集「四季」です。この曲が作曲されたのはバロック末期のことですから、我が忌み嫌う古典派の時代より更に前の時代へとさかのぼることになります。そんな曲をなぜこの私が・・・といったところなんですけど、それはある演奏との出会いによります。この曲はイ・ムジチ合奏団による演奏(アーヨ盤)が有名ですが、バロック色を前面に出している歴代のイ・ムジチの演奏って私にとっては古典派以上に退屈な代物(シロモノ)。とにかく曲そのものが古典派の音楽に輪をかけたようなつまらん曲想なんで、これを唱歌みたいにそのまんま演奏されるとアホらしくて聴いていられなくなるんです。それがある日、私の敬愛するバイオリニスト、アンネ・ゾフィー・ムターお姉さまがこの「四季」に取り組まれたことを知りました。彼女にとりつかれて久しいこの私は、お姉さまのCDが発売されると同時に速攻購入。聴いてみたわけなんですが、聴いてビックリ見てビックリ。とにかくこの演奏、目をつぶって聴いていると、まぶたの裏に「一心不乱にバイオリンを弾きまくるお姉さま」の姿がはっきりと見えてくるではありませんか。あまりの現実離れした出来事に眩暈がして、それ以来、このお姉さまの四季だけは頻繁に聴くようになっていました。

とまあ、これが私の”世界5大バイオリン協奏曲”です。

超有名なメンデルスゾーンが入っていないところに違和感をもたれる方もいらっしゃるかと存じますが、私、この曲、大嫌いなんです。特に嫌いなのがこの曲の顔とも言うべき出だしのメロディ。こいつを聴いた瞬間、身体中に蕁麻疹が吹き出てきます。
有名なベートーヴェンのも嫌いです。だって古典派古典派してるんだもの。
この両者とも虫唾が走ってなりませんので、これらの曲の演奏でたとえあなたがどんなにいい演奏だと思われても、どうか私にはお聴かせにならないよう、重ねてお願い申し上げます。

  1. 2008/04/19(土) 21:59:09|
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古典派

「バッハ、モーツァルト、ベートーヴェンといった古典派の音楽は聴かない。」

このブログでクラシック音楽を取り上げた当初はそう書きましたが、この言い方は正確性を欠きます。極めて限定的ではあるのですが、こいつらの音楽の中で聴いている曲があるからです。


まずはバッハ。基本的にバッハの曲は古典派の中でもあまりに古臭くてほとんど聴かないのですが、たった一曲だけ例外があります。それは「マタイ受難曲」、それもリヒター指揮ミュンヘン・バッハ管弦楽団・合唱団による1958年版の演奏です。

私、聴きもしないくせにバッハのディスクって結構持ってます。ミサ曲Bマイナー、ブランデンブルグ協奏曲、そしてゴルトベルク変奏曲をはじめとするグールド演奏のピアノ曲全般・・・・・もちろん全て一度は聴いてみたものばかりなんですけど、一つ残らず全然分かりませんでした。何でこんな曲が現世にまで生き残ってきたのか、さっぱり分からない。あまりに分からないので、今では全然聴きもしなくなっちゃってます。

それが、マタイ受難曲だけは違いました。一度聴いても分からなかったのは他の曲と同じなんですが、この曲には「もう一度聴いてみてもいいかな」と思ってしまう何かがあったのです。そして、日をあけては聴いてみる。こんなことを何度か繰り返していたある日、突然キラメくような雷鳴が私の脊髄を直撃し、ズズーンとした感動が私を包み込んで「この曲はすごい」と感じてしまったのです。

実は感銘を受けたのはそのときだけで、それ以降、また元に戻ってしまいました。あれ以降、再び聴いてみても別に感動するわけでもない、でもなんとなくもう一度聴いてもいいかなと思う・・・・こんなことはこの曲以外に経験したことがないので、自分で自分の感覚を説明することもままならず、ちょっと戸惑ったりするほどです。ただ、やはり一度感動してしまったという事実は消えることはありません。そのときの体調、気分がこの曲とシンクロしたとき、選り得ないレベルの感動が自分を包み込む。その感覚をまた取り戻そうと、忘れた頃にまた聴いてみる。これまではそれをずっと繰り返してきました。今後も繰り返すことでしょう。だってこの曲、ハマればすごいんですから。


モーツァルトもバッハと同じく、たった一曲だけ聴く曲があります。「レクイエム」です。モーツァルトはこの曲の作曲中に亡くなり、しょうがねえからってんでこの曲の後半は弟子が補筆したため、その後半部分は凡庸だと言われる向きもあるのですが、私は特にそうしたことを感じません。なんたって、モーツァルトそのものが凡庸だと信じて疑ってないくらいなので、”後半は凡庸”だか何だか知りませんがそんなことはどうでもいい。とにかく私はこの「レクイエム」だけは聴けるようになりました。(意味分からん!)

レクイエムのディスクは6種類ほど持っています。それを聞き分けているうちにこの曲への抵抗がなくなっていったのですが、だからといってこの曲に心底感動したというような経験は今まで一度もありません。この曲を聴くにしたって、ただ単に「まあたまには聴いてもいいかな」くらいのもので、まあ他に聴こうという曲もないようなときに消極的な気分でこの曲をかけるくらいなものです。その他のモーツァルトの曲は聴いているだけでムカムカしてきますので、それに比べれば何ぼかましといえましょうが、私の中でのモーツァルトなんてものは、どこまでいってもそんなものです。


最後にベートーヴェン。彼の曲は何曲か聴きます。といっても、聴くのは全てシンフォニーで、交響曲第4番、第5番、第7番の3曲だけです。それもカルロス・クライバー指揮による演奏しか聴けません。

交響曲ではこの他にも有名なのがいろいろありますが、例えば交響曲第3番「英雄」などは世紀の大駄作だと思ってますし、第6番「田園」などは聴いていると弛緩しきってオシッコばかりかウンコまでもれちゃいそうになりますし、第9番「合唱つき」に至っては、何でこんな曲を年末にやることが定番化しているのかさっぱり理解できないでいます。また、交響曲以外では、ピアノコンチェルト第5番「皇帝」とか、ミサ・ソレムニスとか、巷で感動を呼び起こしているらしい曲も何種類か聴いてはきたんですけど、結局のところ何も感じることはありませんでした。

また、カルロス・クライバー以外の奏者について言及するなら、例えば交響曲ではフルトヴェングラーというオヤジがベルリンフィルやウィーンフィルを振ったモノラル録音が一部で熱狂的支持を受けております。私は彼のディスクも一通り持ってたりするんですけど、やはり全然聴けません。ぶっちゃけいうなら、あんなじいさんを崇拝する人々の気が知れません。情報量の極めて少ない音質最悪のモノラル録音にごまかされているだけなのではないでしょうか。妄想好きのオメデタイ頭の持ち主が録音に足りない部分を自分の頭の中で勝手に補足して、勝手に感動しているだけだと思うんですが・・・・・違いますかね?


というわけで、これら3人の演奏を全く聴かないと申し上げたのは誤りで、ごく一部をたまに聴くことがあります。ただ、やはりこいつらは既に終わってる作曲家なので、博物館を見学する気分で聴くにとどまります。古典派ってやっぱどうにもなりません。

  1. 2008/02/16(土) 20:04:21|
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オーケストラ・ダスビダーニャ 第15回定期演奏会

本日、オーケストラ・ダスビダーニャの定期演奏会を聴きに、池袋の東京芸術劇場まで出かけてきました。このオケはショスタコーヴィチの曲に特化して演奏活動を繰り広げているアマチュアオケで、今日の演目は以下の通りです。

  ・ノヴォロシスクの鐘
  ・交響曲第9番 変ホ長調 作品70
  ・交響曲第11番 ト短調 「1905年」作品103

私がこのオケを聴くのは2回目なんですけど、初めて聴いた前回の定演でもういきなりこのオケがメチャお気に入りになりました。とにかくこのオケ、鳴るんです。特に管。技術的にはアマのトップクラスにあることは疑いないと思いますし、ここまで聴衆に音圧を感じさせてくれるオケって、プロでもなかなかないのではないでしょうか。

東京芸術劇場を本拠地にしている(?)のも、なかなかの選択です。昨年は確かパイプオルガンがむき出しになっていたのが、今年は音響ボード(っていうのかな?)を宙に配し、オケの音がよりストレートにズバッと客席へと届くようになっていました。このホールについて、私はこのオケしか聴いたことがないので今ひとつ判断しきれない部分はありますが、オケもホールもどちらも図抜けているんじゃないかと思います。(ただ、このホールの椅子だけはいただけません。ケツが死にかけました。去年もそう思ったんだけど、取り換えてくんないかな。)

本日圧巻だったのは、やはりメインの11番です。ショスタコの中では比較的なじみの薄い曲だったので(この曲のCDは2種類しか持ってません)、先週ずっと予習してきたんです。集中して5~6回は聴いたでしょうか。そうまでして臨んだ演奏会。これがまたあなた、すんばらしかった。期待を裏切らなかった。いや、期待を遙かに上回っていた。どんなにいいオーディオでも絶対に再現できっこないような圧倒的な音圧、生でしか味わえない迫力とでもいいましょうか、私がオケの生演奏に求めて止まない醍醐味をこれでもかってくらい堪能させていただきました。

観客も良かったです。どんな演奏会でも大抵は「曲が終わったらまず真っ先にオレが拍手をし始める」などと勘違いして残響音を台無しにしてしまう、音楽というものがまるで分かっていないおバカな野郎がいたりするものですが、今日はそういうのが一人もいなかった。余韻を残しながらホール内にこだまする鐘の音が最後にフッと消え去るまでの10数秒間は至福の時間でした。数年前にモントリオールの教会で、やはりお利口な観客によって味わうことのできたMSOの残響音にも似たあの感覚を、今日は思う存分味わうことが出来ました。正直震えましたよ、これ。みなさん、ありがとう。

パンフレットを見ると、来年の定演では10番をやるそうです。・・・10番と言えばあなた、ショスタコのシンフォニーの中でも私が最も愛して止まない交響曲ではありませんか。というわけで、もう早速、来年のスケジュールを抑えちゃいました。ついでですから、ここでも紹介しちゃいましょう。(無断で書いちゃって申し訳ありません。)

  オーケストラ・ダスビダーニャ 第16回定期演奏会
  2009年2月15日(日)昼
  東京芸術劇場大ホール
  指揮:長田雅人  曲目:交響曲第10番、森の歌 他

皆様、お誘い合わせの上、ご来場下さい。(って、おいらは関係者じゃないんだけど)
あと、オケの皆様、引き続き精力的な演奏で、我々を魅了させて下さい。よろしくお願い申し上げます。

  1. 2008/02/11(月) 21:36:52|
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オーケストラ生演奏

私は年に数回、オーケストラの生演奏を聴きにいっています。

生演奏とは名ばかりのスピーカーを介した電子音を聞かされるロックやロックンロールなどと違い、器楽であれ弦楽であれ声楽であれ、人の物理的な力で奏でられるクラシックはこれぞ正真正銘の生演奏。クラシックこそ生演奏で聴くに限ります。どんなに優れたCDをどんなに優れたオーディオ機器で聴いたところで、生演奏で得られる感動・感慨は得られない。そういうもんだと思っています。

楽器の共鳴成分の豊かさがクラシック演奏の命でもあり、生演奏やアナログレコードを、人間の可聴域を超える周波数をカットしたCDの音と比較すると、脳から出るアルファ波の量が全然異なるということが実験において立証されていますしね。
ご多分に漏れずこの私も、大昔にメディアがLPからCDへと取って代わる過渡期において、周波数がより広いはずのCDを聞いて「デジタルのCDはアナログのLPよりも可聴音域が狭い」と直感し、これを周りの人間に言いふらして、アホ呼ばわりされたことがありました。でも実際はカタログスペックしか信じない、自分の耳で判断できない周りの人間たちの方がアホだったわけで、私の方が正しいことが証明されたわけです。

とまあ、自分の耳を一通り自慢したところで、話を無理やり本題にもっていきます。

日本に帰国する前、即ち米国駐在中は、ご近所のオーケストラにニューヨークフィルハーモニックとフィラデルフィア管弦楽団という世界に冠たるオーケストラがあり、オケを聴きに行くならこれほど恵まれた環境はないといった状態でした。しかしながら、こういうオーケストラは8日分、月間、年間のセット券みたいなチケットしか発行しておらず、演奏会単発のチケットを入手できませんでしたので、一度も聴く機会がありませんでした。出張で各地に行くたびに(年間100日くらいは全米各地に出張しておりました)チケットを求めさまよったのですが、どこでも同じ状態でしたから、あちらではこれが普通なのかもしれません。

というわけで、米国内ではプロオケを聴く機会がなかったのですが、一度カナダのモントリオールに出張した際、ひょんなことからモントリオール交響楽団のチケを手に入れることができました。演奏があったのはコンサートホールではなく教会です。欧州風の石造りの教会ですから、演奏前は残響音が大きくてまともに聴けるのかと心配しましたが、実際に演奏を聞いてみるとそんな心配は無用でした。この極めてフランス風の透き通った音を出すオケに、教会の心地よい残響音がシンクロして、この世のものとは思えぬすばらしい音楽を聴くことができたのです。

あと、地元プリンストンには伝統と格式を誇るクラシックのホールがあって、そこで五嶋みどりのヴァイオリン演奏会、ヨー・ヨー・マのチェロ演奏会を聴きに行ったこともあります。どちらも世界的なプレーヤーですが、残念ながら私自身が器楽曲にさほど興味がないこともあり、どちらも確かに上手で美しかったのですが、心の底から感動するというまでには至りませんでした。

日本に帰国してからは、オケを生で聴く機会が増えました。横浜に優れたホールがないためか、わざわざ東京やら川崎まで出かけていって聴くわけですが、私がそうやってまでして聴く生演奏というのは、その全部が全部、アマチュアオーケストラのものです。同じ会社にアマオケのビオラ奏者がおり、この方が様々なオーケストラのチケットを無料で進呈してくれるという恵まれた状況にあるからです。そのオーケストラとは、ル・スコアールとかダスビダーニャとかザ・シンフォニカとか東京楽友協会交響楽団とか多岐にわたるのですが、これらのオケがことごとくマーラー、ブルックナー、ショスタコーヴィチ、・・・・といった私の好みの作曲家の曲をメインに取り上げてくださるものですから、喜んで聴きにいかせてもらっています。

アマチュアのオーケストラをこれだけ集中的に聴くのは初めての経験ですが、アマチュアにはプロにはないよさがあると思うようになりました。思ったより遥かに上手だし、なんかこう、うまく言えないんですけど、実力的に大差ない(?)日本のプロオケをいちいち聴きに行くまでもないような、ある種の情熱が感じられて・・・・・

探せばアマチュアオケの無料チケットというのはあちこちで提供されておりますので、クラシックに馴染みのない方は、一度、アマチュアの演奏会に出かけてみてはいかがでしょう。意外と面白いと思うかもしれませんよ。

  1. 2008/02/08(金) 22:41:49|
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オペラ

私はその昔(といっても、たった数年前のことなのですが)、「オペラなんか何が面白いんじゃ?」と思っていました。

まず何だか無理矢理こじつけたようなその陳腐なストーリー。どれもこれもくだらないものばかりで、よくもまあ恥ずかしげもなくまじめな顔してこんなものを演じ、あるいは鑑賞できるものだと感心していたのです。おまけに、大時代的なクラシックの歌手が妙ちきりんな衣装を着て、そのしょうもない物語にあわせて「ハ~~~~レ~~~~ホ~~~~レ~~~~」などといい気になって歌っています。「アホか!」と思ったものでした。

そもそも私には声楽というものがよく分からなかったのです。あんなへんてこな歌い方の音楽を聴いて、何が楽しいんだろうと思っていたのです。その気分は未だに残っていて、「やっぱキョンキョンの歌声が世界一」なんて考えているくらいですからね。(威張るなっての)

そんな私がオペラを聴き始めました。”聴き始めた”というのは、映像ではなくCDから入ったからなのですが、それはともかく、何故こんな羽目に陥ったかと言うと、ある友人からの勧めがあったからなのでした。

「オペラ、おもろいで。」
「どこがやねん?」
「とにかくおもろいで。」
「よっしゃ、一念発起して理解したるワイ。」

このまるっきり遊びのない極めて事務的・合理的な会話を発端に、私のオペラへの挑戦が始まりました。

それ以来、この友人が送ってくれたヴェルディ作曲の「リゴレット」というオペラを精力的に聴き始めました。

この曲のストーリーは、貴族に仕える道化師リゴレットが自分の娘をその貴族(自分の主人)に陵辱されて(まあ簡単に言うとやられちゃったわけですね)、復讐のため殺し屋を雇ったらその殺し屋が間違って自分の娘を殺しちゃった、という阿呆丸出しのお話なんですね。

最初は当然苦痛でした。何度聞いても退屈の極みで、何が面白いんだか全然分かりません。

「どこがおもろいねん、これの。」

その友人に何度このセリフを投げかけたことか。でもその返事は「歌手の歌声の妙を楽しむ」だの「情景を想像しながら歌声にこめられた魂を聞く」だのと、ことごとく訳の分からんモノでありました。

だいたい、この曲は悲劇のはずなのですが、映像のない音だけで聴いているとなぜか私には喜劇に聞こえるのです。最初は「ドラえもんとのび太の大冒険」の映画音楽かと思ったくらいです(これ、ホント)。やはり暗黒の時代を表現した管弦楽曲、例えばショスタコーヴィチの交響曲などと比較すると、オペラってのは相当軟派です。

総計で20回は聴いたでしょうか。どこでどのような音楽が流れてくるのか既に完全に覚えてしまい、そののんきな音楽に慣れた頃、ようやく次のオペラに進出することが許されました。

友人より試聴を許されたリゴレットに続く曲、それはプッチーニ作曲の「トスカ」でした。

このお話の登場人物は、嫉妬深い宮廷歌手のトスカとその恋人のカバラドッシ(なんちゅう名前じゃ)。そこにトスカに横恋慕する悪代官(?)のスカルピアが現れて、なんだかんだあってみんな死んじゃう、というストーリー。(これじゃワカラネエっての)

トスカの有名なアリア「歌に生き、恋に生き」は、その昔、ニューヨーク近辺にお住まいだった方なら耳に残っていると思います。TVの日本語放送で、毛筆で変な丸を書く”鎌倉・源吉兆庵”のCMの裏に流れている妙な女声の曲。あれです。(こんな曲をCMのBGMになんか使うなっての)

こちらは全曲を通じて結構すんなりと聴けました。といっても、曲自体はある意味しょうもないんです。プッチーニとヴェルディとの力量の差と言ってしまえばそれまでなのですが、その旋律があまりにギクシャク、ゴツゴツしていて、まるで音大作曲科の落第生が作った卒業曲みたいでして、明らかにプッチーニには力量がないことが分かります(こんなこと言っちゃっていいのかな?)。リゴレットとは比較にもなりません。でもなぜか私はすんなりと聴くことができたのでした。理由はよく分かりませんが、ギクシャクしているところが私には刺激的だったからかもしれません。

とまあ、細かい話しは抜きにしても、とにかく管弦楽曲としてはトスカは聴くに堪えたのです。でも声楽としては・・・?相変わらずよく分かりませんでした。

こちらも結局20回くらい聴いたでしょうか。
「こりゃ、脈なしかな。」

全然次を聴こうという気が沸き起こってこない現状に半ば諦めかけた頃、ふと思い立って10年前くらいに録画してお蔵入りしていたクラシック関係のビデオを引っ張り出してきて、久しぶりに見てみました。これにはマーラー2番やウェストサイドストーリーが入っているのですが、これをみて寒気が走ったのです。

「ゲロゲロ・・・・・声楽が私にも分かる!」

マーラー2番のアルトを歌うジェシー・ノーマン、ウェストサイドストーリーのマリアを歌うキリ・テ・カナワ(ソプラノ)。以前には曲のおまけくらいにしか考えていなかった声楽が、今、今日、この瞬間、こちらの胸のうちにビンビン響いてくるではありませんか。(大げさだっての)

「これはもしかして・・・。」

オペラ2曲を散々聴き込んだ結果、オペラ自体には「なにがおもろいねん」という感覚から脱却できなかった代わりに、歌手の声の良し悪しというか、以前は全て同じに聞こえていたクラシックの声楽に対する自分の好みが認識できるようになっていたようなのです。

「このジェシーノーマンはすごい。」
「このキリ・テ・カナワは絶品だ。」

今ではそう主張できる自分がここにいます。というわけで、調子にのって再度リゴレットとトスカに戻ってみました。

でもダメなのです。相変わらずオペラは分からない。

月日は流れ、ヴェルディのオテロ、プッチーニの蝶々夫人などが追加で目の前を流れ去っていきました。にもかかわらず相変わらずオペラが分からない状態に身を任せていたある日、ほとんどやけくそでワーグナーに手を出してみました。

「ワーグナーは大嫌い。なぜなら大河ドラマみたいだからだ。どこでどのように盛り上がるのかが事前に分かってしまう。”こうだろうな”と予想したとおりに曲が展開する。聴いていて安心だ。映画で言うならハッピーエンドが約束されている米国映画、山登りで言うなら家族で登れるお子ちゃまルートをちんたら登っていくのに似ている。日本人に限らずこういうのが好きな人は多いであろう。が、私にとっては”退屈”以外の何者でもない。」

タンホイザー序曲やマイスタージンガー序曲などの限られた楽曲を聞いて前々からそう公言してきた私なのですが、オペラを通して聴いたことがなかったのもまた事実(嫌いでしたからね)。そこで、ちょっと聴いてみることにしたのです。
聞いてみたのは”ラインの黄金”という曲です。で、プレーヤーにCDをセットしてプレイボタンを押しました。

ガビ~ン!

文句なくすばらしい音楽がそこにありました。
まずコントラバスの低音で始まり、少しずつ発展するものの決して変調しないナゾかけみたいな序曲がもういきなり私好み。ラインの黄金が輝くテーマはあまりにしみじみとしすぎちゃってて、もっと鮮やかでいいんじゃないかなんて思うんですけど私好み。巨人族の登場の音楽なんか、あまりにわかりやすくて小学生が作ったみたいで笑っちゃうんですが私好み。鍛治のリズムはしつこいからもう繰り返さなくていいってばって思うんだけど私好み。・・・

ワーグナーって天才だったんですね。早速スコアを買ってきて眺めてみたのですが、あれだけの仕掛けを冗長に陥ることなく全曲に渡ってちりばめることができるその才能と実行力は、とても凡人には真似できないものです。ワーグナーと比べてしまうとヴェルディは鼻くそ、プッチーニなんかどぶねずみの糞と言えましょう。(いいのか、こんな事書いて)

ワーグナーのおかげでドイツ・オペラというものの面白みが分かるようになったようなのですが、問題は未だに能動的に聴き込もうという気になれないヴェルディやプッチーニなどのイタリア・オペラなんです。これを心から分かるようになるにはどうすればいいのでしょうか?誰か教えてくれませんか?

  1. 2008/02/01(金) 21:09:29|
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ブルックナー

ブルックナーという作曲家がいます。この人の音楽は時代的には後期ロマン派に属し、鑑賞する頻度という意味ではマーラーやショスタコーヴィチほどは聴きませんが、それでもブルックナーは私の中ではそれなりの地位を占めていますので、ここで取り上げてみます。

この人の音楽を一言で表現するなら「変態音楽」と言えましょう。

そのシンフォニー(交響曲)の旋律はどれもこれも超イモっぽいし、どれもこれもみんな、ただただデロデロダラダラしています。二分音符に三連符が続く芋っぽいリズム(”ブルックナーリズム”といいます)に妙な展開、田舎っぽい和音にコテコテのメロディー。”オーケストレーション”はお世辞にも華麗とは言い難く、その泥臭さは天下一品です。まだ聴いたことのない方は試しに聴いてみてください。あまりの退屈さに必ず寝ることでしょう。断言しましょうか。「あなたは寝る!」

旋律だけではありません。

シンフォニーという曲の形態として一応4楽章形式をとってはいるのですが、他の作曲家にはない最大の特徴がブルックナーにはあります。それは「どの曲も4楽章がメチャクチャ変」ということです。どう聴いても1~3楽章と合わないのです。曲を通じて一貫性がない、そんな気がするんですね。例えば比較的有名な交響曲第4番や第7番。聞いていていつも4楽章で「コケッ」とコケます。いつもそう、本当にコケる。オーディオの前で一人でいつもそういうリアクションを入れています。(薄気味悪いヤツ!)

結局、ブルックナーを聴くときはシンフォニーだと思って聴いちゃダメなんですね。ただ単に「1時間くらい音楽を聴くぞ~」っていう気持ちで聴かないと。「1時間くらい”の”音楽を聴く」じゃなくて「1時間くらい音楽を聴く」ですよ。そう、ブルックナーの音楽は曲単位では終わらないのです。1曲で完結しない、いつも終わりのテロップには「つづく・・・」って出るのです。

そして楽章間に連続性がありません。即ち、順番どおりの楽章間に連続性が希薄であり(特に4楽章)、交響曲第○○番という単位は便宜上存在するだけ、言い換えれば”交響曲第○○番というカタマリ”にさほどの意味はないのです。(ホンマかいな?)

「連続性がないなら『つづく・・・』って出るなんておかしいじゃねえか」、「矛盾してねえか」と思われるかもしれませんが、もちろん矛盾などしておりません。私はそう簡単に馬脚をあらわしたりは致しません。

順番どおりの楽章間に連続性は希薄なのですが、ブルックナーのシンフォニー全体を鳥瞰してみると、主観的にあっちこっちでつながりが出て来るのです。例えば、ちょっと極端になりますが
「今日は8番の1楽章に続いて6番の2楽章を聴いた後、7番の2楽章にいって5番の3楽章で締める」
なんてことが自分の中で可能になってしまうわけです。これが嵩じると、例えばブルックナーの7番を聴いたとき、1楽章の後に8番が、2楽章の後に6番が、3楽章の後に4番が、そして終楽章の後に9番が聴きたくなったりして収拾がつかなくなってきます。こうして永久にブルックナーから離れられなくなる。終わることができなくなるわけですね。これを「ブルックナー輪廻の法則」といいます。その発見者はもちろんこの私です。

ブルックナーに薄気味悪いほど熱狂するファンがいる理由がこれなんですね。この全てを超越したところにあるブルックナー世界を発見したとき、人はブルックナーにはまってしまい、自分をコントロールすることが出来なくなるのです。聴くたびに「あ~変だった」と満足する。他人からは決してわからない変態じみた陶酔の世界・・・・・

その中でも筋金入りの変態たちが集まっているのが「ブルックナー協会」です。私はまだ筋金は入っていないのでこの協会に所属する意志はありませんが、彼らの気持ちは理解できます。ですから皆様、彼らをいじめないでいてあげて下さいね。

  1. 2008/01/28(月) 23:23:45|
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モーツァルト

「クラシック音楽史上、最も偉大な人物を一人挙げなさい」などという投げかけをすると、第一位に挙がってくるのは決まって”モーツァルト”なんですね。第二位は国民性によって回答が異なったりしますが、日本でこの質問をしたら”ベートーヴェン”ってことになるんでしょう。

ともかく、クラシックを語る上でモーツァルトは避けて通れない。だからこそ、ここで正面切って取り上げますが、私に言わせれば「モーツァルトの音楽なんかを喜んで聴くやつの気が知れない」ってところです。

私がモーツァルトを聴く過程および感覚を精査してみますと、”モーツァルト”も”モーニング娘。”も”安室奈美江”も”宇多田ヒカル”も(例えがちょいと古くて申し訳ない)、こちらの受け取り方は全く同じ。時代が違うので曲調はまるで違いますが、その本質は全く同じで「中身の薄い大衆受けする要素満載の音楽」と受け取ってしまうのです。その上、私自身は現代に生きいますから、モーツァルト時代の大衆よりも安室や宇多田時代の大衆の方が感覚的に近いのか、後者の方がまだ聴けるくらいです。

これらの音楽に共通の要素は・・・・すぐに飽きるところ。そう、飽きてしまうのです。

「同じ音楽を100回聴いても1000回聴いても決して飽きない。」

そういうところにクラシック音楽の凄みがあると思うのですが、モーツァルトなんかたとえ一瞬は面白いと思うことができたとしても(できないけど)、とてもじゃないですが生涯を通じての連続鑑賞には耐えられないような気がしてなりません。

だいたいモーツァルトのどこが(いまや消えていなくなりつつある)小室やつんくと違うのでしょうか。

「ろくな価値観も定着していないような女子供に媚びて」
「とにかく耳当たりだけはいいように」
「同じような音楽ばっかり」
「受けているうちに儲けるだけ儲けようと」
「少しずつ目先を変えながら」
「大量にひたすら出しまくった」
「自分のことしか考えていない銭ゲバ」

・・・ほら、同じではありませんか。

でも、世の中には「モーツァルト信者」と呼べるようなモーツァルトを崇拝して止まない阿呆がいっぱいいます。

彼らに対してモーツァルトを貶したとき、こういう輩の反応は単純です。怒り出すか、もしくはこちらを軽蔑したような笑みを口元に浮かべて自信満々自説を繰り広げ始めるかのどちらかなんですね。「モーツァルトはこうだ」などと声を大にしてモーツァルトの神秘性を”普遍の真理”とばかりに公言し、断定しきる。その様子はカルト宗教の信者と何ら変わりがありません。

カルト宗教に共通するのが「教祖絶対」という噴飯ものの性質ですね。教祖様のお言葉には何にでも意味があり、その字面の裏の意味を穿り返して、現実世界に無理やり当てはめてありがたがる。

例えば教祖様が「うんこは臭い」などと言ったとしましょうか。我々からすれば「そんなの当たり前やんけ」で終わってしまうのですが、信者となるとまるで受け取り方が違うのです。この発言に対して
「教祖様は我々にものを感じ取る五感の大切さを説いてくださっているのだ。ありがたや~!」
などと裏の意味をこじつけて、いちいち感動してひれ伏すわけですね。

更に、同じ教祖が前と矛盾することを言ったりやったりしたとしても、信者というものは決してめげることはありません。同じ教祖が「うんこは臭くない」などと言ったとしましょうか。我々からは「アホか、お前」「言ってることが違うやんけ」で片付けられるこの発言が、信者にとっては
「教祖様は世の中には無駄なものなど一つもないということを説いてくださっているのだ。ありがたや~!」
などということになってしまい、またもや感動してひれ伏すのです。

そのベースにあるのは「教祖様はやはり人類の救世主」みたいな自分勝手な主観を無限に増幅させていく、という宗教の精神循環ですね。彼らの主張はそのでたらめな思想に基づく「世界平和」やら「人類救済」であるがゆえに、
「自分は正しい。皆間違ってる」
という発想から抜け出す動機を自ら断ち切ってしまっており、もう何事にも比較し難いほど性質が悪い。こんなの、日本よりちょっと北に位置する某国の将軍様とか、何とか学会とかいう宗教団体の何とか大作とかいう脂っこい強姦じいさんの崇拝のされ方を見ていれば、一目瞭然ですよね。

でも、彼らにとって彼らの行動は彼らの思想宇宙の中では正義なのです。だから尚更性質が悪い。宗教の中に入り込んでしまうと、とたんに気づかなくなるのでしょう。こういう人々が持ち出してくる論理というのが・・・・・そう、”教祖全肯定”、”教祖全行動全善意解釈”、そして”断定”です。

全肯定と言っても決して文字どおりの意味ではなく、教祖が絶対に傷つかないような部分だけちょこっと否定して見せて
「自分はちゃんと自分の頭で考えていいも悪いも判断しているよ。盲目的に狂信しているわけじゃないよ。」
というポーズを見せておいて、本質部分では全て肯定、っていう小ざかしい脚色も含まれますから気をつけてくださいね。そして他の宗教なり国なり、敵対する組織を徹底的に非難する。”目くそ鼻くそ”とはこのことですね。

ともかく、こういう方々にはどんな薬も効かないのです。(この長々とした宗教論は何のため?)

モーツァルトの信者がコレなんですね。教祖(モーツァルト)がもう死んじゃってるっていうのに、勝手にその音楽の解釈を増幅させて脈々と生き続けているカルト宗教。”モーツァルトの音楽にある精神性”とか”モーツァルト以降の作曲家に見られるモーツァルトの影響”などを無理やりでっち上げて、あろうことかそれを心から信じ込み、そればかりか他人にまでコレを押し付け広めようとする。

もう結構です。私を説得しようったって、そんなの時間の無駄です。だいたい、私を誰だと思ってるんですか?私がそんなカルトにはまるほど落ちた人間だとでも思ってるのでしょうか?私にはた~くさんやることがあるので、阿呆に付き合っている時間などないのです。そんなにその主張をしたいのなら、鏡に向かって勝手にほざいていてください。(誰に向かって言ってるんだろう?)

  1. 2008/01/22(火) 23:59:01|
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クラシック音楽とは

そろそろサッカー、写真、車だけの書き込みを続けるのも飽きてまいりましたので(もう?)、これは単なる気まぐれなんですが、今日から”クラシック音楽”というカテゴリーを立ち上げます。その昔に管理していたHPからのコピペも多くなりますが、昔からお付き合いいただいている方々、もしそれに気づいても見て見ぬフリをお願いします。

さて、クラシック音楽と一口に言っても様々なジャンルがあります。が、ここでは管弦楽、言い換えればオーケストラが奏でる音楽について触れていくことにします。

私のクラシック音楽(管弦楽)鑑賞歴はシンフォニー、それも後期ロマン派に偏っています。バッハ、モーツァルト、ベートーヴェンといった中学校の音楽の授業で聞かされる超退屈な奴らはつまらないのでほとんど聴きませんし、聴いていても必ず寝てしまいます。それはなぜか?

それはね、これら古典派と呼ばれるカテゴリーの音楽が宮廷音楽だからです。貴族に媚を売るへなちょこ音楽なのです。その証拠に、古典派のクラシック音楽からは宗教がかった全体主義の匂いがプンプンするでしょう。

「いや、それは違う。モーツァルトはその宮廷音楽に大衆性を持ち込んだ偉大な作曲家だ。」

世の中に数多く寄生しているモーツァルト信者はこう反論します。でもそんなのは戯言に過ぎません。モーツァルトが単に”宮廷の浜崎あゆみ”とか”貴族の宇多田ヒカル”だったってだけのことです。こんな音楽流してるとスピーカーが腐りますので、私は聴きません。

クラシック音楽を聴かない人々に植え付けられたクラシック音楽のイメージ。

”妙に取り澄ました”、”つまんない”、”インパクトのない”、”眠たい”音楽。

これはほとんど古典派(上の3人)から来ています。こんな極めつけの年寄りミュージックを物心ついたばかりの中学生に聞かせてしまったらクラシック嫌いになるに決まってると思うのですが・・・。教育要綱を作った官僚よ、出てこい!
って、それはともかく、こういうやつらの音楽をクラシックなどと勘違いしてもらっては困ります。(って、別に私は一向に困りはしませんが)

私が聴くのは後期ロマン派以降。最も古い人でブラームス。以下、ブルックナー、マーラー、ストラヴィンスキー、ショスタコーヴィチ、バルトークあたりが主流です。ここ7~8年はワーグナー(オペラですが)なんかも聴くようになってきています。この中でもっともよく聴く作曲家はマーラーとショスタコーヴィチです。そしてこれが、これこそが本物のクラシック音楽というものだと声を大にして主張したい!(しとるやんけ)

何事もそうなのですが、物事の本質というものは常に進化を遂げるという普遍の真理があります。現代社会において縦穴式住居には住めないんですね。音楽だって同じです。クラッシクの直訳でもある”古典”派の音楽は、もはや今の人間には受け入れられない代物なのであり、人類にとっては過去の遺物、遺跡みたいな意味しかないのです。

別の角度から例証すると、歴史博物館で感心するのが古典派とするなら、美術館で感動するのが後期ロマン派と言えます。「芸術というものは感動するためにあるのであり、感心するためではない」なんてことはもはや言うまでもないことだと思っているのですが、何か私、間違ってますか?

  1. 2008/01/19(土) 23:38:57|
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