ま、適当に

思いつきで書くよ

心神喪失状態

ここ5年くらいの間に理解に苦しむ事件が頻発するようになりました。社会的に大きく取り上げられたものとしては、自分の子供を橋の欄干から突き落としたり、それだけでは飽き足らずに他人の子供にまで手をかけたり、一国の首相が所信表明演説のたった2日後に全てを放り出したり、夫を切り刻んで捨てたり、誰がみても圧敗である亀田に勝利の判定が出たり、餃子にメタミドホス入れたり、・・・つい最近では、事故米を流通させたり、大相撲に八百長はないと真顔で言うじじいがいたり、一国の首相が何の理由もなく政権を放り出したり(一応アベちゃんは病気とかを理由にしてたけど、こいつに至っては・・・)、自分の子供に手をかけておいて携帯のGPS機能を使って探すフリしたり、5D後継機が2000万画素を越えたり、個室ビデオ店で自殺の名目で放火しておいて自分は逃げ出したり、一国の首相が所信を表明できなかったり、代わりに野党党首が所信表明したり・・・・といろいろありますが、その中でも、やはり未だにどうしても理解できないのは「自分の子供を殺す」というものです。そして、もう一つ理解に苦しむことがあります。それは量刑のあり方、即ち、殺人という行為を行う間に心神喪失状態だったとかいう理由で、これが無罪になっちゃったりするところです。

まずは後者について触れていきますけど、例えば今、私が突然心神喪失状態に陥ったとします。その心神喪失状態の私っていったいどんな行動をとるのでしょうか。

いきなり動物にかえって、訳の分からない”人間”という生き物に囲まれている環境に驚き、怯え、泣き叫ぶのでしょうか。加工食品などは食品として認識できずに腹がへって耐え切れなくなり、自然の食を求めて発狂したかのように駆けずり回ったりするのでしょうか。その間、糞尿を平気で垂れ流したりするのでしょうか。

きっと違いますよね。そんなことはない。人間として暮らしてきたそれまでの生活だけはきちっと踏まえている。心神喪失状態だろうが何だろうが、あくまでも人間として生活してきた基本部分はそのままなんです。そしてそうした生活の蓄積を踏まえた上で、潜在意識に基づいた自分の意思ではコントロールの出来ない衝動的行動をとる。そういうことでしょ?

こうした心神喪失状態の人間が実際に引き起こす行動ってのは、星の数ほどもあるその人が持っている潜在意識の中でも最も強烈に自分を支配している意識に基づくものってことになるでしょう。自分の意識とは全く関係のない思いも寄らぬ行動に出るなんてことはない。その証拠に、心神喪失状態に陥った人が自分が本当に大切だと思っている相手、例えば心の底から愛し合っている異性を殺すなんてこと、聞いたことがないもん。殺す相手は必ずそいつにとって何らかの不都合のある人だし、普段の生活の中でそこにはなんらかの”殺意”めいたものが比較的簡単に認定されるわけです。その”殺意”だって強烈であるからこそ心神喪失状態になって表に出てきたわけでしょ?となりますと、心神喪失状態で引き起こした殺人事件だって、百歩譲って人を死に至らしめた”行為”そのものについては責任能力はないのかもしれませんけど、そういう社会的に通用しない”潜在意識”を持つに至っちゃった自分のねじくれた性格に対する”責任”ってものがあると思うんですよ。上で言うところの”人間として生活してきた基本部分”ってやつね。そこで形成された潜在意識がこの事件を引き起こしたわけなんですから、そこんところを問題にしなくていいのか、と。

日本の法規制って、やったかやらないかで裁かれる。どんなにデタラメなことを考えていたとしても、それを行動に移さない限りは決して裁かれない。いくら頭の中で世界全人類を死滅させる方法を考えてたとしても、それを行動に移さない限りは罪にならない。それが原理原則でしょう。どんな理由があれ、やったら有罪。その後、その背景にある事情がどうだとかこうだとかで情状酌量の余地ってのが出てきて罪が減刑されたりする。違うの?

違うんでしょうね。その上位概念として”責任能力”ってのがあるんでしょう。”情状酌量の余地”ってのを検討する段階じゃなくて、有罪か無罪かという最初の段階でいきなりこの概念が適用される。だから周りの状況がどうあれ、その瞬間の行為に責任能力がなければとにかく無罪。そういうことなんでしょう。でもこれ、おかしくね?

んじゃ、例えばぶち切れて訳わかんなくなったら、何をしても無罪なの?それならおいら、ぶち切れたら意識をなくす訓練しますよ。わたしゃ何度か軽く切れたことありますけど、ぶっちゃけ、切れたところで意識はある。切れたときでも、その裏ではいつも必死で自分の意識を認識しようとしている自分がいます。言い換えると、意識をギリギリでコントロールしながら切れているわけです。これ、みんなそうなんじゃないの?そして、そのコントロールをハナから放棄したとき、自分の行為を徹底的に衝動的感情に任せきったとき、きっと自分は意識を失くした状態になっちゃうだろうなっていう感じがない?なんだかおっかないから、とてもじゃないけどそこまで踏み切れないんだけど、自分に対して私はそういう感じが濃厚にあるんですけど。これまた言い換えると、こういう「自分の意識を自分のコントロール下から開放する」のって、訓練すれば何とかなるんじゃないかと思うんですよ。勇気を持って感情を開放する。後先をまるっきり気にしない。そういう訓練。人の来ない河川敷かどこかでやってみようかな~、なんてね。

で、本当にムカつくことが起こったとき、本気でぶち切れる。何が起こっても知~らないっと。あとで責められてもこう言いますよ。

「しょうがねえじゃん、訳わかんなくなっちゃったんだから。その瞬間、完璧に心神喪失状態だったモン。責任能力なかったモン。無罪でしょ。」

ウソはついてませんよ。実際本当に意識なかったんだし。

てなことになったとき、こりゃあもう確信犯でしょ?そんな妙ちきりんな訓練までしちゃってんだし。でもそれは、”行為を犯したときの責任能力”っていう上位の段階で不問とされる。自然に起こったものだろうが訓練によるものだろうが、心神喪失状態であることに変わりはないんだから、責任能力はないと認定されて無罪。理屈からするとそうなると思うんですけど、やっぱどう考えても、こんなのおかしくね?

やはり犯罪行為というのは、まずはやったかやらないかで有罪無罪を判定すべきだと思う。そして有罪ってことを踏まえた上で、その量刑を決める際に計画性があったとかなかったとか、どうせ有罪無罪の決定には資することのない「日ごろから思ってたかどうか」「そう思うに至る事情があったかどうか」なんていう過去の蓄積にまで踏み込んで情状酌量の余地ってものを突き詰めて行くわけだから、その段階で心神喪失状態ってのを持ち出せばいい。”心神喪失状態”なんてのはそんなもん、そういうレベルのものとして扱うべきだと思うんですけど、なんでダメなんだろ?

セレブ妻バラバラ公判とかいう妙なタイトルをマスコミから付与されたあの裁判。一審の判決は懲役15年だそうですけど、一時は「無罪かも」なんてことが言われたりもしておりました。夫を殺害し切り刻んでおいて、無罪かもしれないだと?バカも休み休み言えっての。近所の人に「夫は弁護士」とかすぐにばれるようなウソをついてしまうくらい度を越した虚栄心・中身のないプライド、・・・離婚だ何だと夫を責め派手に騒ぎ立てる一方で、自分は他の男に身体を開いて省みないという自分本位の利己的倫理観、・・・・・ある意味、その事件を引き起こした主因といえるかもしれない被告のその醜悪な性格が、その瞬間の意識のありなしだけで全部不問になっていいはずないだろ!

これまたちょいと前の話になりますが、光市の母子殺害事件の差し戻し控訴審では、広島高裁が被告に対して死刑を言い渡しました。その判決文を読んで胸のすく思いがしたのは私だけでしょうか。よくやった、楢崎康英裁判長!わたしゃこの裁判の過程で、弁護団が被告と共謀してこれまでの供述を翻し、なんとかこの”心神喪失状態”に持ち込もうとドラえもんだの生還の儀式だのとなりふり構わずくだらねえことをグチャグチャ言っているニュースに触れるたびに、ご遺族の無念・怒りたるやいかばかりかとやりきれない思いを抱いておりました。1、2審とも無期懲役。それが最高裁での差し戻しを経て、ようやくまともな判決が出たのです。日本の司法も捨てたモンじゃねえ!この判決を受けて、チン毛ソックリの縮れ白髪の弁護士が「判決は不当だ」とか「上告だ」とか言ってましたが、もういい加減にしたらどう?君の仕事は被告人の弁護なんであって、”心神喪失状態”の捏造じゃあねえだろ?

冒頭に戻って、自分の子供を殺すなんてのは、もう全然あり得ないことです。有罪とか無罪とかいう以前の問題。こんなの、動物以下でしょう。たとえそこに心神喪失状態があったとしたって、その背景となる潜在意識の中に”殺人につながるだけの意識”があるからこそそんな行動に出たわけでしょ?その意識って、いったいどうやって醸成されたの?小学生の自分の子供に殺意を抱くなんて、普通は絶対あり得ねえっての。結局、突き詰めていけば全部超利己的で自分だけに立脚したわがままから引き起こした事件でしょ?そんなの、情状酌量の余地だってカケラもないッスよ。いや、たとえ心神喪失状態による情状酌量の余地を認めたとしても、”死刑100回”って量刑が”死刑99.9回”に減刑されるくらいなもので、そいつの仕出かした元の罪ってそれくらい重いと思うんですよ。たとえどんな辛い状況にあったとしたって、まだ幼い自分の子供に殺意を抱くなんてありえない。もし本当に何らかの異常な環境の結果、その殺意が芽生えたのであるならば、そんな殺意を感じる前に自分を責めて、自分が死ねばいい。それだけのことだもん。

自分の子供ばかりか他人の子供にまで手にかけたあのでたらめな女。裁判所で相手の親に土下座してみたり、もうあんなの、全部自分が助かるためのパフォーマンスだって言いきれるんちゃう?だって、自分の子供を殺してんだよ。百歩譲って、例えそれが本当に心神喪失状態で引き起こしてしまった行為だったとしてもだ。正気を取り戻して自分がやったと認識した瞬間、おいらなら気が狂うか自ら命を断つかすると思うよ。だって、自分で自分の子供に手をかけちゃったんだよ。それを自覚しちゃったんだよ。正気でいられるはずがないじゃんかよ。それなのに、あの女はシレッと裁判受けてやがる。そればかりか、自分の子供に対して殺意がなかったことが認定されなければ控訴だとか騒いでいやがる。だいたい、”自分の子供に手をかけた”という決定的な事実と比べてあまりに軽くてどうでもいいようなそんな屁理屈に執着していること自体、おいら的にはあり得んことだわ。そんな女に無期懲役を言い渡した裁判官、人間であることを放棄しちゃってない?いわゆる専門バカってやつ。細部にこだわる前に大局を見ろっての。

・・・って、もう止めよっと。久々にマジになって疲れちゃったッス。ごめんよ。もうしません。

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  1. 2008/10/09(木) 22:07:24|
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