ま、適当に

思いつきで書くよ

モーツァルト

「クラシック音楽史上、最も偉大な人物を一人挙げなさい」などという投げかけをすると、第一位に挙がってくるのは決まって”モーツァルト”なんですね。第二位は国民性によって回答が異なったりしますが、日本でこの質問をしたら”ベートーヴェン”ってことになるんでしょう。

ともかく、クラシックを語る上でモーツァルトは避けて通れない。だからこそ、ここで正面切って取り上げますが、私に言わせれば「モーツァルトの音楽なんかを喜んで聴くやつの気が知れない」ってところです。

私がモーツァルトを聴く過程および感覚を精査してみますと、”モーツァルト”も”モーニング娘。”も”安室奈美江”も”宇多田ヒカル”も(例えがちょいと古くて申し訳ない)、こちらの受け取り方は全く同じ。時代が違うので曲調はまるで違いますが、その本質は全く同じで「中身の薄い大衆受けする要素満載の音楽」と受け取ってしまうのです。その上、私自身は現代に生きいますから、モーツァルト時代の大衆よりも安室や宇多田時代の大衆の方が感覚的に近いのか、後者の方がまだ聴けるくらいです。

これらの音楽に共通の要素は・・・・すぐに飽きるところ。そう、飽きてしまうのです。

「同じ音楽を100回聴いても1000回聴いても決して飽きない。」

そういうところにクラシック音楽の凄みがあると思うのですが、モーツァルトなんかたとえ一瞬は面白いと思うことができたとしても(できないけど)、とてもじゃないですが生涯を通じての連続鑑賞には耐えられないような気がしてなりません。

だいたいモーツァルトのどこが(いまや消えていなくなりつつある)小室やつんくと違うのでしょうか。

「ろくな価値観も定着していないような女子供に媚びて」
「とにかく耳当たりだけはいいように」
「同じような音楽ばっかり」
「受けているうちに儲けるだけ儲けようと」
「少しずつ目先を変えながら」
「大量にひたすら出しまくった」
「自分のことしか考えていない銭ゲバ」

・・・ほら、同じではありませんか。

でも、世の中には「モーツァルト信者」と呼べるようなモーツァルトを崇拝して止まない阿呆がいっぱいいます。

彼らに対してモーツァルトを貶したとき、こういう輩の反応は単純です。怒り出すか、もしくはこちらを軽蔑したような笑みを口元に浮かべて自信満々自説を繰り広げ始めるかのどちらかなんですね。「モーツァルトはこうだ」などと声を大にしてモーツァルトの神秘性を”普遍の真理”とばかりに公言し、断定しきる。その様子はカルト宗教の信者と何ら変わりがありません。

カルト宗教に共通するのが「教祖絶対」という噴飯ものの性質ですね。教祖様のお言葉には何にでも意味があり、その字面の裏の意味を穿り返して、現実世界に無理やり当てはめてありがたがる。

例えば教祖様が「うんこは臭い」などと言ったとしましょうか。我々からすれば「そんなの当たり前やんけ」で終わってしまうのですが、信者となるとまるで受け取り方が違うのです。この発言に対して
「教祖様は我々にものを感じ取る五感の大切さを説いてくださっているのだ。ありがたや~!」
などと裏の意味をこじつけて、いちいち感動してひれ伏すわけですね。

更に、同じ教祖が前と矛盾することを言ったりやったりしたとしても、信者というものは決してめげることはありません。同じ教祖が「うんこは臭くない」などと言ったとしましょうか。我々からは「アホか、お前」「言ってることが違うやんけ」で片付けられるこの発言が、信者にとっては
「教祖様は世の中には無駄なものなど一つもないということを説いてくださっているのだ。ありがたや~!」
などということになってしまい、またもや感動してひれ伏すのです。

そのベースにあるのは「教祖様はやはり人類の救世主」みたいな自分勝手な主観を無限に増幅させていく、という宗教の精神循環ですね。彼らの主張はそのでたらめな思想に基づく「世界平和」やら「人類救済」であるがゆえに、
「自分は正しい。皆間違ってる」
という発想から抜け出す動機を自ら断ち切ってしまっており、もう何事にも比較し難いほど性質が悪い。こんなの、日本よりちょっと北に位置する某国の将軍様とか、何とか学会とかいう宗教団体の何とか大作とかいう脂っこい強姦じいさんの崇拝のされ方を見ていれば、一目瞭然ですよね。

でも、彼らにとって彼らの行動は彼らの思想宇宙の中では正義なのです。だから尚更性質が悪い。宗教の中に入り込んでしまうと、とたんに気づかなくなるのでしょう。こういう人々が持ち出してくる論理というのが・・・・・そう、”教祖全肯定”、”教祖全行動全善意解釈”、そして”断定”です。

全肯定と言っても決して文字どおりの意味ではなく、教祖が絶対に傷つかないような部分だけちょこっと否定して見せて
「自分はちゃんと自分の頭で考えていいも悪いも判断しているよ。盲目的に狂信しているわけじゃないよ。」
というポーズを見せておいて、本質部分では全て肯定、っていう小ざかしい脚色も含まれますから気をつけてくださいね。そして他の宗教なり国なり、敵対する組織を徹底的に非難する。”目くそ鼻くそ”とはこのことですね。

ともかく、こういう方々にはどんな薬も効かないのです。(この長々とした宗教論は何のため?)

モーツァルトの信者がコレなんですね。教祖(モーツァルト)がもう死んじゃってるっていうのに、勝手にその音楽の解釈を増幅させて脈々と生き続けているカルト宗教。”モーツァルトの音楽にある精神性”とか”モーツァルト以降の作曲家に見られるモーツァルトの影響”などを無理やりでっち上げて、あろうことかそれを心から信じ込み、そればかりか他人にまでコレを押し付け広めようとする。

もう結構です。私を説得しようったって、そんなの時間の無駄です。だいたい、私を誰だと思ってるんですか?私がそんなカルトにはまるほど落ちた人間だとでも思ってるのでしょうか?私にはた~くさんやることがあるので、阿呆に付き合っている時間などないのです。そんなにその主張をしたいのなら、鏡に向かって勝手にほざいていてください。(誰に向かって言ってるんだろう?)

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  1. 2008/01/22(火) 23:59:01|
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