ま、適当に

思いつきで書くよ

抗がん剤

何だかぶっ続けでがんのテーマばかりになっちゃうんで、せめてこのブログが重く息苦しくならないよう軽やかに(?)お答えしようと思うんだが・・・・抗がん剤の毒性についてかい?マニアックなやつは制がん剤と言ったりするらしいが、ま、そんなこたーどーでもいいや。

ぶっちゃけ、抗がん剤が概ね無効であることは医師も当然気付いていて、昨今では何でもかんでも「抗がん剤を使用」というわけではなくなってきているようだよ。だから、昔よりもずっと医師に相談しやすい環境になってきていると思う。ただ、未だに毒性の強い抗がん剤を昔の知識のみでナントカの一つ覚えのように杓子定規に処方する阿呆な医師もまだ多いようだ。(←特に勉強をしなくなって久しい年寄り医師に多いらしい。)よって、おやじさんの担当医がどういう奴か見極めるためにも話をしてみたらいいと思うよ。

あと、前回もちょこっと書いたが、抗がん剤と言えば最近では毒性の低いホルモン剤も普及してきているようだ。適応は特に乳がんに多いらしく、それ以上のことはおいらも特に調べたわけでもなくてよく分かっていないのだが、まあいいか。抗がん剤の多くが毒性の低いものに置き換えられているなんてことはないということだけは聞いているので、あくまでも毒物前提で話を進めるよ。

確かに正常細胞よりもがん細胞の方が抗がん剤への感受性が高いので、適量投与すればがん細胞は死に、正常細胞は生き残る。小中学生の頃よく聞いたこういう理屈は原理的に正しいし、抗がん剤というのは元来そういうものだと思うよ。

というわけで、ここでようやく本題に入るわけだが、毒性の強い抗がん剤による細胞の生死って臓器機能不全を表すものじゃないでしょ。そこにすり替えのレトリックがあるってこと、気付かない?

がん細胞は死ぬけど正常細胞はギリギリ生き残るという抗がん剤の濃度ってのは確かにあるだろう。ただまあ実際には我々が抱(いだ)きがちなそんな感覚とはちょっと違って、がん細胞が95%以上死ぬとき、正常細胞は50%生き残る。そんな感じのデータになると思うけどね。で、その数値の意味をよく考えていただきたい。

正常細胞の50%は生き残るけど、50%は死んじゃう量の抗がん剤。それくらいの猛毒、ってことはだよ、その生き残った方の細胞だって無事では済むはずがないでしょ。死なないまでも、まず間違いなく瀕死の重傷を負ってしまう。それくらいの想像はつかないのか?もちろん中には綺麗に再生する軽症の細胞だってあるだろうが、老人なんだからその数は極めて少なく、その多くはただ細胞として何とか生きているというだけで、臓器としての機能を大きく損なってたり機能不全を引き起こしてたりするんじゃないのか?そう考える方が自然だと思うんだけど。

正常細胞から臓器としての細胞機能を奪ってしまう抗がん剤の濃度ってのは、正常細胞が50%生き残る濃度(=50%が死ぬ濃度)よりもずっと低いところにある。(←当たり前だが。)即ち、血中に抗がん剤を入れて、その濃度を少しずつ濃くしていくと、まず正常細胞の臓器としての機能が損なわれていき、次にがん細胞が死に、最後に正常細胞が完全に息の根を止められる。そういう順番で起こるってことだ。本来あるべき機能を失った細胞がただ瀕死状態で生き残っていたとしても、そんなの、人としては意味を成さないのだ。

つーか、あんた、理系としてそれなりのレベルの最高学府を卒業してんだから、いくら今はバカでもその能力のカケラくらいは残ってんだろ?ならば、せめてそれくらいのことは直感として分からんかね?そこに思いが至らないあんたのその機能しない脳細胞ってなんなん?頭に抗がん剤でも打ったのか?

素人があっという間にだまされてしまう(というか、勝手に勘違いしてしまう)こういうインチキレトリックが医療の世界にはまだまだいっぱいある。そして、「がんにならなきゃ健康」、「がんで死ななきゃ安全」という政府と東電がグルになって強弁したあの原発の安全性レトリックのときもそうだったが、そもそも日本人ってのはこの手のインチキなすり替えレトリックに引っかかりやすい体質なのかもしれない。

でもこれ、自分はもちろんだが、自分にとって大切な人々の命にも関わることだからね。情報自体はネット等を通じていくらでも得られる時代なんだから、世の中の通説など鵜呑みにせず、自分の目で直接生(なま)の情報を見て、それを自分の頭で咀嚼して判断すべきである。腐っても鯛だ。それくらいの目と頭は持ってんだろ?その哀れなまでにサビついた目と頭を磨き直して、ちゃんと考えろっての。

人の健康状態なんてものは病気か健康か、0か100かの2つに明確に分けられるものではない。実際には30の人も50の人も70の人もいる。そのどこに線を引くかで病気とも健康とも好き勝手に診断される。また、「50未満は病気、50以上は健康」などと定義してみたところで、生身の人間ってのは頭で考えたようにはならない。健康であるはずの70で死んじゃう人もいれば、病気の30で生き残る人もいるからだ。

医師だって科学者の端くれだろう。ならば、一つとして同じものはない「がん」と一人として同じ人はいない「患者」との組み合わせに対して、科学技術を駆使しながらちゃんと生身の人間が罹患した致死的疾患として解釈・処置してやらなければウソだ。

同じ医師というくくりの中にも、いや、同じ理系というくくり中でもこういうことができる奴とできないやつがいる。それはあんたも承知しているだろう。

「これが出来ないバカはいつまでたっても杓子定規で何も生み出すことが出来ない二流、出来るやつは最初から一流、この差は果てしなく大きい・・・・。」
「医療で言うなら、医師だろうが患者だろうが関係ない。医学的知識という手持ちの情報のあるなしではなく、情報の解釈が出来るかできないかで決まるのだ。」

ってこんな話、学生時代に結構したじゃん。なら、今回はがん医療をテーマに患者の側に立って、二流の医師などに惑わされることなく、これをちゃんと実生活で実戦していこうぜ。あんたの場合、それが親孝行に直結することでもあるのだから。(←って、偉そうにするにも程がある?)

てことで、全然大したことないウスラバカのヘボサラリーマンくせしやがって、そのあまりの生意気さに当の本人であるおいら自身ですら虫唾が走って参りましたので、そろそろこの辺でがん関連のテーマは打ち止めに致したく、よろしくご了解の程お願い申し上げます。

んじゃ。

(メレ)

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  1. 2015/04/07(火) 23:16:54|
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